今年で100年を迎える夏の甲子園(※イメージ)
今年で100年を迎える夏の甲子園(※イメージ)

 第1回大会から今年で100年を迎える夏の甲子園。そこで、知る人ぞ知る“トリビア”をお届けする。

◇2軍選手だけで地方大会を勝ち上がり、甲子園に出場したチームがある

 1927年春の選抜高校野球大会(第4回)に優勝した和歌山中は、優勝の褒美として夏の大会を前に米国遠征に行っていた。そのため夏の地方大会は留守番の2軍選手が出場。チームは勝ち上がり、なんと全国大会出場を決めてしまった。本大会では1回戦で敗退したが、名門・和歌山中の選手層の厚さを知らしめた。

◇春と夏の優勝校同士が“真の日本一”を決める試合があった

 前項で紹介したとおり、2軍チームで甲子園出場を決め、選手層の厚さを見せつけた和歌山中。大会が終わると正チームだったらもっと強いのではないかという声が上がり、「真の日本一を決めよう」という要望が出た。そして27年11月6日。大阪の寝屋川球場で夏の王者・高松商(香川)と正チームの春の王者・和歌山中との日本一対決が実現する。前代未聞の対決は高松商が7―4で勝利し“真の日本一”に輝いた。

◇別の学校で2年続けて優勝を経験した選手がいる

 第6回(20年)に優勝した関西学院(兵庫)の9番ライトの堀竜三は、その後和歌山中に転校。翌年は5番レフトとして再び甲子園に出場。決勝戦では2安打を記録するなど、同校の初優勝に貢献した。こんな幸運な選手はもう現れないかもしれない。

◇外国人選手出場の第1号は大正時代

 外国人選手の第1号は意外と早く、大正時代の第2回(16年)で実現している。優勝した慶応普通部(東京)の2番ファーストのジョン・ダン選手はアメリカ人として出場を果たす。2回戦の香川商戦では3安打して「異人さん、がんばって」「ジョンしっかり!」と声援を浴びた。

週刊朝日  2015年8月14日号より抜粋