ところが、である。初戦で大番狂わせが起こる。相手は平安中。過去に甲子園準優勝経験もある強豪には違いない。だが前評判では大会随一の投手と噂される嶋率いる海草中に分があった。事実、7回まで嶋は好投を見せ、海草中は5対1でリードしていたのだ。

 ところが、勝利目前の8回裏、嶋が突然つかまった。平安打線が火を吹いて一気に3点をもぎ取り、1点差まで詰め寄られる。追加点が欲しい海草中だが9回表はあえなく無得点。しかしこの裏を抑えれば逃げ切れる──海草中応援団は固唾をのんで見守った。

 投手・嶋の踏ん張りどころである。が、ここで生来の気弱さが顔を出す。投手は、わがままなくらい図太いほうが向いている、とよく言われるが、嶋は反対に、優しく控えめ、人一倍周りに気を使うタイプだった。

「僕は11年前に嶋選手の妹さんにお会いしたんですが、家でもとにかく優しい兄さんやったと言うてましたから」(松本氏)

 おそらく「ここは抑えねば」という気負いで、硬くもなったのだろう。9回裏、先頭打者の7番天川、8番木村に連続四球を与えてしまう。「嶋はその気弱さゆえ、1試合に必ず一度は崩れる」とチームメートが評した弱点が、大事な場面で試合の流れを変えたのだ。

 土壇場でついに投手交代。ショート・松井が登板するも、続く9番古家に四球を与えて無死満塁。1番に戻って保井がショートゴロでゲッツーとなるところ、セカンドが落球して同点に追いつかれる。さらに2番の須山にセンター前にきれいにはじき返され、これが決勝打となった。

 まさに悪夢である。試合後、嶋はひどい落ち込みようで、古角氏が「お前のせいやない」と慰めても、悲愴な顔で応えなかった。

 海草中後援会主催の慰労会でも、関係者は一様に嶋を非難した。4点も差が開いていたのに、ひっくり返されるとはなんたることだ、嶋を投手に据えていたのじゃあこの先も海草中は勝てない、と容赦ない言葉が飛び交う。当時「球都」と称された和歌山の野球を失墜させたことへの周囲の怒りは容易に収まらなかった。

「そりゃもうボロカスに言われたそうです。それだけ期待が大きかったんでしょう。ただ海草中野球部を作った丸山直廣さんという方が、嶋選手に言ったんです。『なにがあってもお前の面倒は俺が一生見たるさかい、気を大きく持て。野球を辞めたらあかん』。その言葉が嶋選手を救ったのでしょう」(松本氏)

「戦地に散った球児たち(4)」へつづく

木内昇(きうち・のぼり)
直木賞作家。1967年生まれ。野球通で、昨夏は甲子園観戦記を本誌に連載。代表作に『漂砂のうたう』『櫛挽道守』

週刊朝日  2015年8月7日号