戦地に散った球児たち(3)<作家・木内昇> (1/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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戦地に散った球児たち(3)<作家・木内昇>

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嶋の投球フォーム (c)朝日新聞社 

嶋の投球フォーム (c)朝日新聞社 

海草中の選手たち。左端が嶋。右から2人目が古角氏 (c)朝日新聞社 

海草中の選手たち。左端が嶋。右から2人目が古角氏 (c)朝日新聞社 

 甲子園にはしばしば怪物が現れる。和歌山・海草中の嶋清一(1920.5)は伝説の大投手だ。39年の第25回大会で、現在まで誰も破れない大記録を残した。初戦から全5試合完封、準決勝・決勝は連続ノーヒット・ノーラン。だがメンタルは弱く、失投の苦い過去があった。作家木内昇氏が追う。

*  *  *
■昭和13年 海草中 伝説の嶋投手の失投

 先頃、沢村栄治の東京巨人時代の投球映像が発見され、話題になった。大きく左足を踏み出し、そこに全体重を乗せて思うさま腕を振り切る。このとき、普通はグッと沈み込むはずの左足がまっすぐ伸びている。しかも前のめりの体勢になりながら軸はぶれない。よほどハムストリングス(腿の裏の筋肉)が強く、体幹がしっかりしていたのだろうと、舌を巻いた。

 沢村は京都商のエースとして戦前の甲子園を沸かせた選手だが、彼のみならず投手という存在は、こと学生野球において重要な役割を担う。ピッチングの善し悪しが試合を大きく左右するのもさることながら、チーム内で特に身体能力の高い者が、投手に据えられるケースがままあるからだ。

 和歌山の名門・海草中の嶋清一も、中学入学後、一塁手から投手に抜擢された経歴を持つ。当時海草中の監督だった長谷川信義が、嶋の身体能力に目をつけ、2年生に上がったときに転向させたのである。

■優勝候補の初戦 突然崩れた8回裏

 ここから嶋の厳しい修練がはじまる。もともと神経質で凝り性、理論派でもある彼は、自分の力を最大限に引き出せる投球フォームを研究し、それを身につけるべく投げ込みを続けた。

「廊下を歩いていても腕を振り、窓ガラスや鏡の前では必ず立ち止まってシャドーピッチングでフォームを確かめていたそうです」

 と、語るのは、海草中の後身である向陽高校出身の松本五十雄氏(80)。嶋のチームメートで親友だった古角俊郎氏と親交があった方だ。古角氏はおととし91歳で亡くなられたが、野球一筋の人で、生前は中学時代の話をよく語ったという。

「海草中野球部の練習は、そらもうえらい厳しいもんやったと聞いとります」


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