特に彼の素晴らしさを物語る数字がある。2ストライクからの打率が3割3分前後あり、フルカウントからは3割8分近くまで上がる。2ストライク後の打率は通常の打者なら下がるのは当たり前なのだが、その落ち込みがまったくない。追い込まれても打つべき球までファウルで粘れるし、ボール球は平然と見逃せている証拠だ。初球から狙い球を絞って積極的にいくのはもちろん、その上で二枚腰とも言える粘りを見せる秋山の充実度が数字に出ている。

 技術的には、かかと体重になりがちだった重心をしっかりと両足の中心で立てることになったことだ。内角へのさばきは素晴らしいものがあったが、かかと体重だと外角に踏み込めない。しかし、今年は左翼方向へも力強い打球が打てるようになった。緩急に対しても、タイミングが合えば左手、左腰などの左サイドで押し込めるし、体が前に泳がされても、右手、右腰の右サイドで粘れる。投手からすれば、配球で裏をかくか、半々の確率で待たれても押し切れるだけの球威、キレがないと抑えきれない。

 昨年までは一度スランプに陥ると出口が見えなくなった。そんな苦い経験も秋山の揺るがないスタイルにつながっている。今は結果ではなく「自分の形を崩さず振ること」だけを見ている。今後、最高打率や年間最多安打など、さらなる注目を集める。侍ジャパンにも選ばれるだろう。だが、どんな状況でも秋山は変わらないでいられるよ。

 イチロー(現マーリンズ)が数々の安打記録を作り上げた。一方で米メディアは、四球の少なさやボールゾーンに手を出す点を指摘した。輝かしい数字を残しても、必ずその裏も読み取られてしまうのはスター選手の宿命だ。でも、イチローだってスタイルを変えることはなかったよな。

 秋山は「チームのために仕事ができてすがすがしい」と記録が途切れた後に言ったが、「秋山スタイル」は見ている私たちにも爽快感を与えてくれた。

週刊朝日 2015年7月31日号

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東尾修

東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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