法律上打ち切りもやむなしとのニュアンスだが、国の担当者はあくまでも県からの要請だったと言う。

「確かに法の枠組みとしては応急措置です。ですが、それで被災者の住む場所がなくなっては仕方がない。我々は福島県から『2年後には(帰還できる)メドがつきそう』と言われたため、打ち切りに合意したのです」(内閣府)

 責任の押し付け合いにも見えるが、住民の帰還を促したい県と原発事故の早期収束を図りたい国の思惑が一致したのは間違いなさそうだ。だが自主避難者からは、打ち切りは早いとの声が上がる。2011年3月に白河市のコーヒーショップを閉店し、末娘と沖縄県に避難した伊藤路子さん(67)が訴える。

「私のような年齢で避難してきても新たな職は見つからない。沖縄では国の家賃負担、それに一部の病院の厚意で医療費の免除があったからこそ持病持ちの私でもやってこられた。すべての支援がなくなれば、毎月の追加出費は10万円にも膨らむ。小さい子供を抱えた母子家庭など、生活に困る人が増えるのは間違いありません」

 だからといって、被曝環境にある福島へ戻る気はないと言う。

 札幌市で避難者の自助団体「みちのく会」を運営する藤本昭則さん(41)は、いまでも避難先で生活基盤を作れない人が多いと話す。

「札幌には母子家庭の避難者が多い。命の危険を感じて逃げてきた人たちが馴染みのない場所ですぐに働けるかといったら難しい。労働で家賃を払っていけるような基盤を一人ひとりがこれから作っていくことが大切で、支援を打ち切るのはそれができてからにしてほしい」

 前出の坂本さんは、住宅支援延長を望む9826人分の署名を4月に衆参両院へ請願署名として提出。その後、県に対しても、公聴会を開いて自主避難者の声を聞くよう要望したが、回答は「戸別訪問や相談会などを通じて意見を聞く」というものだった。

「いま打ち切りを決めれば2年後に生活困窮者が出ることは目に見えている。そもそも被曝の本来の基準は年間1ミリシーベルト。それを超えている以上、自主避難の人たちにも避難する正当な理由がある。打ち切りは納得できない」(坂本さん)

週刊朝日 2015年7月17日号より抜粋