最近の本は、単語や短いフレーズを先に持ってくるなど安易なつくりが目立ちます。それで世の中を理解したと思う人も多くなりました。単語を調べ、ネットに書いてあるとおりに本をつくれば、誰が書いても話は似たようなものになります。

 本というものは自分の発想を長い文章にしながら少しずつ鍛えて、単語の示す内容のほうを文章になじませていくものです。だから、フッサールやプルーストの本は長く考えられ、書き継がれた過程にすごみがあります。それを要約して出版しても意味がない。

 それにぎりぎりのところで考えられた内容ってわかりやすくもできないんです。だから読むほうも文章になじみながら、作者と一緒に考えの山をよじ登るしかない。そうした読書体験があれば、1%の人しか読まないような本こそが世の中を変えてきた、ということがわかります。

 売り上げだけでなく、そうした側面を大事にしたいと思うから、私は店には良い本、必要な本を並べてきました。良い本って、必ずしも書店員が好きな本でもないんです。嫌いだけど良い本もある。好き嫌いは読者が決めるのだから、書店員が好みを押しつけても良くない。

 バブル以降、書店の店頭は「買ってくれそうな本を置くだけ」になってしまいました。私は、そうした腰の引けた姿勢にあらがい続けてきたんです。

週刊朝日 2015年7月10日号