22歳のとき、遠縁の秀一さん(62)と恋愛結婚。保育士だったが、4人の息子を育てながら働き続けることは難しく、28歳で退職。秀一さんが営む木型工場がバブル経済のおかげで繁盛していたこともあり、主婦業に専念していた。

「晩酌好きな夫のために一品多く用意するなど、大黒柱として立てていましたね」(君恵さん)

 ところがその後バブルが崩壊、工場の経営は一気に厳しくなる。そこで、君恵さんが、ベビーシッター派遣業を立ち上げることに。子育てをする中、「急用のときなどに子どもを見てくれるサービスがあったら」と常々感じていたからだ。

 同様のサービスを立ち上げた女性社長を秀一さんがテレビで見かけ、君恵さんに伝えたことがきっかけだった。1995年、夫の会社の定款を書き換え、ベビーシッター派遣を一つの事業にする苦肉の船出だった。

「役所や銀行に新しい事業の話をするにも、主婦の私じゃわからないことだらけ。社長として工場を取り仕切ってきた夫が対応してくれたので大助かりでした」(同)

 子育て支援ビジネスは時代のニーズをつかみ、右肩上がりで成長した。03年、君恵さんが代表取締役に就任し、子育て支援を中核事業に。現在秀一さんは社員として福祉事業分野を担当しつつ、受注があったときには木型工場を動かす。婦唱夫随で築いてきた会社は、現在年商5億6千万円にまで成長した。

 君恵さんは「家には仕事の話を持ち込まないことにしています」と言うが、たまにはグチや弱音が出ることも。

「社長というのは誰にでも悩みや本音を言える訳じゃない。その聞き役を僕が担っています」と秀一さん。

 創業20年の今年は多忙を極めるが、休みの日には二人で、鎌倉などへプチ旅行に出かける。

「仕事は忘れ、おいしいものを食べておしゃべりする。大切な時間です」(君恵さん)

週刊朝日  2015年7月3日号より抜粋