出荷前の石炭を積んでいた貯炭場。閉山前には、石炭の山が築かれていたという(撮影/写真部・馬場岳人)
出荷前の石炭を積んでいた貯炭場。閉山前には、石炭の山が築かれていたという(撮影/写真部・馬場岳人)

 九州最後の炭鉱「池島炭鉱」。閉山後、約14年を経てなお、島には“ヤマ”の記憶が残る。

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 長崎県、西彼杵(にしそのぎ)半島の沖合約7キロ。周囲約4キロの「池島」は、炭鉱で賑わった当時の面影を今も色濃く残す、数少ない島だ。

 ずらりと並ぶ炭鉱住宅に、巨大な機械群が残る島内。だが、多くは草に覆われ、倒壊しそうな建物も少なくない。

「人、人、人。島内どこに行っても人だらけだった」と、外海地区連合自治会池島支部長の近藤秀美さん(64)は炭鉱で栄えた当時を振り返る。

 飲み屋やパチンコ店など20店舗が軒を連ねた繁華街は、3交代制で24時間働く炭鉱マンたちに合わせ、長時間営業をする不夜城だった。「かつて、対岸から見た池島は、明かりで燃えているようでした」(近藤さん)

 炭鉱開山に伴い、島外から多くの労働者が移住し始めたのが1959年だ。最盛期の70年には8千もの人が暮らしたが、石油へのエネルギー政策転換などを受け、2001年に閉山。島の人口は現在、160人ほどにまで減った。だが、無人となった軍艦島などと違い、今も人々の暮らしが息づく「生きた島」だ。

 過疎化に直面する一方、産業遺産として島を訪れる観光客は増えている。カメラを携えた“廃墟マニア”の姿も多くなった。

「昨年は軍艦島に行きましたが、今年は炭坑内を見られると聞き、池島に来ました」

 島を一人で訪れていた、菅原健吾さん(30)は話した。

 池島は国内で唯一、実際の炭坑内を見学できるツアーを実施している。また、今年から島民による島内観光ツアーを始めるなど、炭鉱跡を活用した、「第二の人生」を模索し始めている。

 だが、汗を流す武骨な男たちがあふれ、子どもたちの声がこだました島の記憶は、かけがえのないものとして島民の胸に刻まれている。

 過去と今が共存する池島。

 ヤマなき後も、その灯は決して消えない。

週刊朝日 2015年6月26日号