【戦後70周年】空襲の火で炊けたご飯 凄惨な戦争体験 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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【戦後70周年】空襲の火で炊けたご飯 凄惨な戦争体験

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週刊朝日#戦後70年
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「地方の空襲」をテーマに募集した体験談や手記には、いまなお鮮烈な記憶が刻まれていた。空襲を受けるばかりで、どうすることもできなかった憤り、憎しみ、悲しみ、そして嘆き──。恐怖に感覚が麻痺しながらも、平和への思いは強くなっていった。

 地方の空襲では、数十万人と言われる犠牲者が出た。身元のわかった遺体はどれほどあったのだろうか。

 下村正行さん(85)は20年8月2日未明の富山大空襲で、母と叔母を亡くした。市からのお達しで遺体は河原に集められ、4日に火葬することになった。河原には焼夷弾(しょういだん)が刺さったままの遺体、頭や腹がパックリ開いた遺体、蒸し焼き、黒焦げの遺体が並んでいた。

「2人を発見できただけでもよかったんですよ。死体が並んでいるのを見て怖いという思いはありませんでしたね。不感症になっていたんでしょう」(下村さん)

 季節は夏。炎天下で遺体は腐敗していき、ウジがわいてくる。河原に強烈な悪臭が立ち込めていた。下村さんは河原に穴を掘り、トタン板を敷いて2人の遺体を寝かせた。

 配られた5合の石油と薪、焼け跡から拾ってきた焼け木杭で半日燃やし続け、やっと3分の2を火葬した。骨を拾った後に、燃え残った腹部のあたりをそのまま埋葬したという。

「この日の死臭と腐敗臭と焼け焦げの匂いなどが入り交じった強烈な悪臭は、いまだに鼻の奥から離れない気がしています」(同)


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