心優しき努力の人 東尾修が最年長2千本安打の和田を絶賛 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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心優しき努力の人 東尾修が最年長2千本安打の和田を絶賛

連載「ときどきビーンボール」

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週刊朝日#東尾修
二回表中日2死一塁、和田は通算2千安打となる左翼線安打を放つ (c)朝日新聞社 

二回表中日2死一塁、和田は通算2千安打となる左翼線安打を放つ (c)朝日新聞社 

 巨人の原辰徳監督が昨年3月に、入団1年目の小林に「阿部が陽なら、小林は陰のキャッチャーになれ」と話したことを新聞紙上で見たことがある。時には裏をかき、どうやったら打者に嫌がられるかを考えることも必要だ。和田は「陰」の部分は持ち合わせていなかったように思う。

 私が監督最終年の2001年の開幕戦で松坂大輔(現ソフトバンク)とバッテリーを組ませたが試合に敗れた。和田は開幕直前に体調を崩した。おそらく悩んで、考えていたのだろうな。その年、私は捕手よりも外野手で先発出場させる機会を増やした。私から伊原春樹監督に代わったときに外野手に本格転向した。19日で43歳か……。本格的に外野手に転向したときは29歳。そこからよく積み重ねてきたと思うよ。

 誰にもまねできない内角のさばき。グリップをあれだけ高い位置で構え、外角にバットを長く使える打者だと、誰でも内角を攻めたくなる。だけど、両肘を畳んでクルッと回転して運んでしまう。あの独特のバットの出し方は少年に教えようと思ってもできないよ。昨年8月に右手首に死球を受け骨折。リハビリの過程では両膝痛も出たと聞く。年齢的に引退もちらついただろうが、よく1軍に戻ってきた。その精神力もたたえないといけないよな。

 心優しい男だからこそナインの信頼も厚い。現役生活をどこまで続けるかは本人次第だが、引退後に指導者となっても、喜んで協力してくれる仲間は多いはずだ。そしてこれだけの実績を残した今だから言えるのだけど、捕手としての苦い経験は、指導者としての幅につながる。

 今、西武は森友哉を捕手で育てるのか、打者として外野手で使うのかなど、岐路にあると思う。私は和田本人の「捕手をやりたい」との意向を尊重して外野手専任にはしなかった。決断のときは周囲の状況や、そのときの球団、監督によっても違う。まだ時間はある。悔いのない決断をしてもらいたいと、べんちゃんを見て、思った。

週刊朝日 2015年6月26日号


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東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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