姜:漱石は、1914(大正3)年に学習院大で学生たちを前に「私の個人主義」という講演をしています。自らが何をしたいのか見当がつかず悩み、悩みを抱えたまま渡英してからは神経衰弱になるほど苦悶したことを告白。そして、人の意見や評価に振り回される「他人本位」ではなく、自分で考え自分らしく生きる「自己本位」に行きついたことを語っています。それがつまり「個人主義」です。他人の意見も尊重でき、さらに自分の意見に付随する責任と義務を果たさなければならない、と。だから、個人は孤独で寂しい。自由と引き換えの孤独を引き受けているんですね。

山藤:単なる自己チューとは違う、と。

姜:そうですね。僕は、戦後の民主主義は宝だと思っているけれど、いつの間にか自己チューの権利を主張するための道具みたいになっている面があるのではないか、と思うのです。

山藤:自分の生き方はこれでいいのか、本来は青年期に悩むべきものなのに、最近の人は遅い。大人になりきれていないから。かくいう僕だって、今ごろ漱石に夢中になってるぐらいだから60年ほど遅い(笑)。もっと堪能しておけばよかったと思いますね。

姜:僕は、今の若い人にこそ漱石を読んでもらいたいと思っています。かつて若者は、人生とは何かを先達から学びましたが、“薫陶”という言葉ももはや死語になってしまった今、それを文学から学べばいい。いわば、人生のイニシエーション(秘儀伝授)としての文学です。『三四郎』に出てくる「ストレイシープ(迷える羊)」、『それから』の「高等遊民」など、前期の作品は悩める青年を扱いながら漱石が人生の謎解きをしていく。決してわかりやすくはないのですが、生きるヒントがたくさんちりばめられている。これこそがイニシエーションだと僕は思うのです。

週刊朝日 2015年6月26日号より抜粋