山藤章二さん(右)と姜尚中さん。山藤さんは漱石のポーズで(撮影/写真部・岡田晃奈)
山藤章二さん(右)と姜尚中さん。山藤さんは漱石のポーズで(撮影/写真部・岡田晃奈)

 新聞再連載などをきっかけに、注目を集める夏目漱石。本誌「ブラック・アングル」でおなじみのイラストレーター山藤章二さんと、漱石を考える『心の力』の著作もある政治学者の姜尚中さんが、その魅力を語り合った。

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姜:山藤さんの作品も、ズレが持つおかしさ、ユーモアをうまく拾い上げているように感じるのですが。

山藤:ズレることがプロの基本というのは真実です。が、腹を割って話しますと、漫画という極めて大衆的な表現、「怒りや批判を笑いでくるんでガス抜きをする」というのが役割なのですが、「大衆と喜怒哀楽を同化させること」に、ちょっと違和感を感じ始めたんです。現代社会は「高等遊民」を許さない世の中だから、私の思い上がりかもしれませんが、正直それに近いものを薄々自覚するんです。それに、国家主義と民主主義をまたいで生きてきたことで、矛盾する二つの視点が常に僕の中にはある。鳥の目なんですよね。

姜:だから、風刺や皮肉が描けるのでは? 漱石の中にも一貫して風刺的な視点がありました。作家で評論家の大岡昇平が言っていたのが、『坊っちゃん』は東大を皮肉っていたのではないか、と。嫌みな赤シャツが「学士様」として描かれていますが、実際に松山の中学校で東大卒の学士は漱石一人だった。自分で自分をちゃかしながら東大に対する皮肉を描いたのかもしれません。『草枕』で主人公の画家が「自分の屍骸を解剖して見せるのが詩人なんだ」と表現していて、それはすなわち、血が滴るほど苦しくても「苦しい」と言うのではなく、もう一つの目で見つめないと、物事に対する客観性や距離感が出てこない、と。僕なんか苦しいとか悲しいとか、つい直截に語ってしまいがちですが、苦しい自分ももう一つの目から見たら滑稽かもしれない。漱石も鳥の目を持っていたんだと思います。

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