「町村さんは前年に自民党の最大派閥『清和政策研究会』を森元首相から引き継ぎ、党内基盤も固めていた。日本の国家像を記した著書『保守の論理』も05年に出版。10歳年下の安倍氏に先を越されたものの、次は自分と強い意欲を見せていた」

 そこに立ちはだかったのは同じ派閥に所属し、森、小泉両内閣で官房長官を務めた福田康夫氏だった。父親は赳夫元首相。日本憲政史上初の親子総理の誕生に執念を燃やし、「平時でないからこそ、自分の力が必要」と手を挙げた。急きょ、森元首相を交えた3者会談が開かれ、最終的に「今回は福田氏。町村氏は次に温存」との裁定が下された。

「森さんは初当選のころから、福田赳夫さんに可愛がってもらっていた。その恩返しをしたかったのでしょう。町村さんが高飛車な物言いで一部の議員から反感を買っていたことも、康夫氏擁立の決め手になった」(浅川氏)

 町村氏はその後に発足した福田内閣で官房長官を務め、虎視眈々(こしたんたん)と次を狙うが、肝心の福田氏も約1年で政権を放り出した。党内からは「次は麻生氏」との声が急速に高まり、町村氏は総裁選に手を挙げることすらできなかった。

 自民党が野党だった12年9月の総裁選に立候補したが、時すでに遅し。脳梗塞で倒れたことも響き、立候補した5人中4位で戦いを終えた。町村氏に近い自民党関係者は言う。

「町村さんが『あのとき、森さんの指示で福田さんに譲ったけど、もっと戦えばよかったかなあ』と漏らしたことを聞いたことがある。派閥の領袖も重要閣僚もやった。なぜ自分がなれないのか、という悔しさはずっと持っていたと思います」

 小学校の卒業文集に「将来は総理大臣になる」と記していた町村氏。冥福を祈りたい。

週刊朝日 2015年6月19日号