大正から昭和にかけて発行された絵雑誌「コドモノクニ」。だれもが知るあの童話や、有名画家が描いた珠玉の作品からは、子どもたちへの、今も色あせないメッセージが伝わる(撮影/写真部・松永卓也)
大正から昭和にかけて発行された絵雑誌「コドモノクニ」。だれもが知るあの童話や、有名画家が描いた珠玉の作品からは、子どもたちへの、今も色あせないメッセージが伝わる(撮影/写真部・松永卓也)

 日本を代表する芸術家らが、こぞって作品をよせた伝説の雑誌がある。1922年に創刊された絵雑誌「コドモノクニ」だ。

 大正デモクラシーの潮流を受け、個性や自我を尊重する新しい教育がうたわれ始めたころ。東京社(現ハースト婦人画報社)の鷹見久太郎が掲げた「真の芸術に触れることが情操教育の基本」という編集方針に、絵画や文学、音楽など多彩な分野から第一線の芸術家が集った。

 日本画家の東山魁夷は、自身の作風とは趣を異にする色彩豊かな世界を描いた。北原白秋は童謡「アメフリ」を、野口雨情は「兎のダンス」をよせた。今も歌い継がれる数々の童謡が、コドモノクニで産声を上げた。

 女性作家も活躍した。『赤毛のアン』の翻訳者の村岡花子は27年、物語「オホヲトコ ノ ポケツト(大男のポケット)」を残している。

 日本初、5色カラーの大型版。50銭という価格は当時の絵本の4~5倍もした。コドモノクニは、それまでの概念を打ち破る革新的な絵雑誌だった。

 福音館書店の創業メンバーで相談役の松居直(ただし)さん(88)も、新刊を心待ちにした子どものひとりだ。いわさきちひろらを見いだし、『ぐりとぐら』など数々のベストセラーを生んだ名編集者の原点は、幼いころに親しんだコドモノクニにあるという。

「テレビやラジオが普及していない時代。アメフリなどから、耳に伝わる言葉のリズムに驚き、何度も口ずさんだ。言葉が持つ力や日本語の神髄を学びました」

 子どもたちが夢中になったコドモノクニの世界は、44年、戦時中の紙不足による影響などから幕を閉じた。だが、大人の本気が生んだその魅力は、70年以上を経た今も、決して色あせない。

週刊朝日 2015年5月29日号