勘三郎、團十郎、三津五郎と、最も脂が乗った大名跡を続けざまに失った歌舞伎界。3年ぶりに戻ってきた「平成中村座」で圧倒的な存在感を見せる中村橋之助さんに、「平成中村座」に対する思いを聞いた。

──平成中村座が3年ぶりに帰ってきました。

 亡くなった勘三郎の兄が手塩にかけて大事にしてきた小屋です。こんなにも早く興行が打てたのは、浅草寺さんをはじめ、みなさまのご協力をいただいたから。勘三郎の兄もすごく喜んでいることと思います。

──3年ぶりで変化は?

 勘三郎の兄がいないことだけですね。お兄さんの芝居に対する思いや情熱、厳しさ、またお兄さんが一番考えていたお客様を喜ばせるということは、みんなにきちんと浸透していると思います。とりわけ勘九郎と七之助は一生懸命で、力を付けてきています。福助の兄のところの児太郎、坂東新悟君、私のところの3人の息子、国生、宗生、宜生、お兄さんが可愛がっていた中村鶴松君も出ています。季節に合わせるように、平成中村座にも新芽の芽生えを感じて楽しみです。

──今の歌舞伎界に思うことは。

 歌舞伎は伝承の芸術です。25年くらい前、「勧進帳」の弁慶を初めて勤めた時は、高麗屋の(松本)幸四郎のお兄さんに手取り足取り教えていただきました。「幡随長兵衛」も20年くらい前に幸四郎のお兄さんに教わり、今回決まった時に連絡をくださったんです。「きちんとしたものをやったほうがいいから、ぼくが見に行くよ」と。本当だったらこちらからお願いしなければいけないのに。「勘三郎が喜ぶ芸をしてもらいたい」という、亡くなった勘三郎の人望だと思うんです。

──上の世代の方々も心配しているんですね。

 ええ。これが歌舞伎のいい所です。歌舞伎の世界は先輩が父親以上に叱ってくれたりと、つながりがある。一方で、海老蔵君も獅童君も愛之助君も新しい歌舞伎の分野を開拓している。私が勘三郎と一緒にやったコクーン歌舞伎と同じです。古きものの伝承は大事ですが、時代に合った歌舞伎もするからこそ続いていく。父(七代目中村芝翫)や僕の尊敬する先代尾上松緑も「芸の上のお行儀というのは普段が出るよ」とよく言ってました。特に、三津五郎の兄は厳しい人で、亡くなる数日前の朝に電話をくれて、それに近いことをすごくおっしゃっていました。遺言のようで、守り通さなければいけないと思います。三津五郎の兄が亡くなって、よりいっそう考えることが多いですね。50歳になる今年、ただ演技をするだけではなく模範的な人間にならなければ、また個人のことだけではなく歌舞伎という輪を考えて行動しなければ、と思います。

週刊朝日 2015年5月8-15日号