世の中の軸が右に 愛川欽也さんが募らせた危機感 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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世の中の軸が右に 愛川欽也さんが募らせた危機感

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“反戦”の人だったキンキン (c)朝日新聞社 

“反戦”の人だったキンキン (c)朝日新聞社 

 ひょうきんで優しく、共演者や後輩から慕われていた愛川欽也さんが肺がんで亡くなった。うつみさんとは「おしどり夫婦」として注目を集めていた。そんな愛川さんには、こんな緻密な面もあったという。

「欽也さんはとにかく自分をどう売ればいいかを気にしている人でした。アドバイスを求められ、どの局のどの時間があいているとか、キャスターが代わる情報などを教えたことがあります」(放送局関係者)

 もうひとつ、近しい人たちは口をそろえて、愛川さんには常に「反戦」というテーマがあったと言う。鞄に入れて持ち歩いていたのは「日本国憲法」だった。

 98年から始まったCS放送「朝日ニュースター」の討論番組「愛川欽也パックイン・ジャーナル」では、徹底して反戦、反権力の姿勢を貫き、「地上波では放送できない」ものを出した。

 毎週土曜11時からの放送を前に、愛川さんは9時45分ごろにはスタジオに到着していた。一番乗りになることもあった。当時、朝日ニュースター報道制作局長だった朝日新聞の岡崎哲也さんはこう話す。

「一番やりたいのは映画、2番目にやりたいのはこの番組だと言っていました。2時間の放送でギャラは他と比べると決して高くはないけれど、テーマやタイトルまで自分で決めて、パッションがものすごかった」


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