いまや女子生徒ひとり 丸山茂樹ら輩出した名門ゴルフ部 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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いまや女子生徒ひとり 丸山茂樹ら輩出した名門ゴルフ部

連載「マルちゃんのぎりぎりフェアウエー」

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※イメージ写真

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 3年に伊澤利光さん、2年に西川哲さんがいました。僕が中学生のときから「お前が入ってきたら、絶対日本一になれるから」って言ってくれてて、ほんとにすぐに優勝できました。2年のときも日本一。3年のときは3打差で負けて悔しい思いをしましたけど、それも含めて思い出深い3年間でしたよ。

 荏原のゴルフといえば山下七郎監督なんです。荏原の教員で、長らく監督を務められ、2001年に66歳で亡くなられました。

 まあこれが面白い先生でね。かつて日本の委任統治領だったサイパン生まれ。ほんと怖い先生だったから、「鬼のサイパン」って呼ばれてました。「俺はなあ、サイパン島アスリート村字チャチャで生まれたんだ」ってのが口癖でした。ほんとにそんな地名があるのかどうか知りませんけどね。

 山下先生はゴルフは全然ダメで、技術指導なんかしません。もう人間指導というか、精神指導というか。話は面白いし、僕らの話をちゃんと聞いてくれる懐の深い方でした。僕はほんとにいっぱい怒られましたけど、あるとき他の学校の生徒とケンカになったんです。そのとき先生は頭ごなしに怒ったりせず、ちゃんと理由を聞いた上で、僕をかばってくれました。

 問題を起こして出場停止になった生徒がいても、見捨てることなく、その生徒も含めて「みんなで力を合わせてやろう!」と。チームを一つにさせるのが、上手な人でした。だから黄金時代を築けたんですね。

 僕が日大に進んでプロになってからも、「頑張ってるじゃないか」と連絡をくれました。あるとき、「俺の願いを聞いてくれ。マスターズに行きてえんだ」って言うから、僕の何回目かの出場のときに、一緒に連れていってあげました。

 その数年後に亡くなられて。そのとき僕は「ああ、先生もう長くないって感じてたから、マスターズ行きたいって言ったのかなあ」って思いましたね。

 02年に僕は伊澤先輩と組んで、メキシコでのワールドカップで優勝しました。ふたりでボールにサインをして、先生の墓前へ供えてもらいました。

週刊朝日 2015年4月24日号


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丸山茂樹

丸山茂樹(まるやま・しげき)/1969年9月12日、千葉県市川市生まれ。日本ツアー通算10賞。2000年から米ツアーに本格参戦し、3勝。02年に伊澤利光プロとのコンビでEMCゴルフワールドカップを制した。リオ五輪に続き東京五輪でもゴルフ日本代表ヘッドコーチを務める。19年9月、シニアデビューした。

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