新星照ノ富士が転籍を断られ続けた過去 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

新星照ノ富士が転籍を断られ続けた過去

このエントリーをはてなブックマークに追加
週刊朝日
殊勲賞と敢闘賞のトロフィーを手に満面の笑み (c)朝日新聞社 

殊勲賞と敢闘賞のトロフィーを手に満面の笑み (c)朝日新聞社 

「次の5月場所で14勝以上し、優勝したら一挙に大関という声もあり、今いちばん注目の力士です」

 スポーツ紙デスクがこう評するのは、大阪場所で1横綱2大関を破って13勝を挙げる大活躍だった照ノ富士(23)。取組を終えて支度部屋に戻る途中に見せる屈託のない笑顔は、大相撲の希望の星でもある。

「象徴的だったのが13日目の直接対決。ここで負ければ白鵬の優勝決定という一番で照ノ富士が勝ち、残り2日間が消化試合にならずに済みましたから、彼は今場所の最大の功労者。敢闘賞と殊勲賞のダブル受賞も当然です」(同前) 

 一気に時の人となった照ノ富士。先にブレークした逸ノ城の2歳年上で、共にモンゴルからやってきて同じ鳥取城北高に入学し、その後は間垣部屋に入門。逸ノ城より一足先に角界入りしていたのだが……。

「当時の間垣部屋にはお相撲さんが少ししかいなくて稽古にならない状況でねぇ。照ノ富士は元々モンゴルで白鵬のお父さんに見いだされたのが縁で日本にやって来たので、白鵬の所属する宮城野部屋によく出稽古に行ってました(当時の四股名は“若三勝”)。大きな体だから目立つんで、『あれは、どこの子?』『間垣さんのとこだって』『もったいないね』という感じで話題になってました」(ベテラン記者)


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

関連記事関連記事

このエントリーをはてなブックマークに追加
あわせて読みたい あわせて読みたい