夫に身請けを促して自分は…(イメージ写真) @@写禁
夫に身請けを促して自分は…(イメージ写真) @@写禁

 実話を元にしたある文楽作品が江戸時代、多くの男性から支持を得たという。次世代を担う文楽太夫の一人、豊竹咲甫大夫さんが紹介する。取り上げた台詞は「おさんさんが、尼にならしやんしたら、私やどうせう」。

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 四月に大阪で上演する「天網島時雨炬燵(てんのあみじましぐれのこたつ)」は、近松門左衛門の名作「心中天網島」をもとに近松半二が改作した世話物です。文楽ではしばしば改作がされますが、それは技術の進歩と時代の変化に合わせて脚色されたという意味合いが大きいと思います。

 人形の造りが精巧になり、一体の人形を操る人数が一人から三人へと増えたことで、よりリアルな動きが可能になりました。三味線の音楽的変化もありました。技術の進歩によって、時代を反映する演出が採用できるようになりました。

 いい例として、今回の改作には「ちょんがれ」という大道芸が登場します。江戸後期に大坂で流行した、踊りながら早口でまくし立てる芸です。つまり、改作は、当時の流行や最新技術を貪欲に採り入れたエンターテインメントだったと言えます。

 今作の話をしますと、「天網島時雨炬燵」は大坂で起きた実話がモチーフです。紙屋の治兵衛は妻子がいるにもかかわらず、遊女の小春と心中の約束をするダメ男。

 ある日突然、小春から愛想を尽かされた治兵衛は、こたつ布団を被(かぶ)って泣き、その未練がましい姿に妻のおさんが腹を立てます。当時のこたつと言えば、夫婦が仲良く入って子作りに励む幸せの象徴でしたから、余計に切なさが込み上げたことでしょう。

 しかし、治兵衛の涙は小春が恋敵の太兵衛に身請けされる無念の涙でした。それを知ったおさんは慌てます。なぜなら、小春の愛想尽かしは、自分が手紙を出して頼んだからで、太兵衛の身請けを望まない小春は自害するに違いない、と思ったからです。

 そして、すぐ小春を身請けするよう夫を促し、自分や子どもの着物を質に入れてまで金を工面します。普通では考えられませんよね(笑)。しかも二人の邪魔にならぬよう、おさんは尼になってしまいます。あまりにも極端な愛の形。浮気相手の小春が思わず吐露した見出しの言葉からも、その歪(いびつ)さが感じ取れます。

 当時の人形浄瑠璃は客の大半が男性でした。この作品のヒットは、すなわち大坂の旦那衆が共感したということ。自分よりダメな男を観て「良かった~、俺はまだ大丈夫」と安心する部分があったのでしょうか。

 大阪では十年ぶりの上演になる今作で、人形遣いの吉田玉女(たまめ)さんが二代目吉田玉男を襲名します。

 文楽の世界では襲名をする人と自分の芸名のままキャリアを全うする人がいます。今回のように二代目になるということは、初代の芸の神髄を受け継ぐということ。

 玉女さんは中学を卒業後に師匠(初代吉田玉男)の元で稽古を始め、師匠が亡くなるまで、師匠の主(おも)遣い(人形の首と右手を操る)の隣で左遣い(左手を操る)をされていました。ですから、襲名披露狂言には師匠の当たり役だった「一谷ふたば(※)軍記(いちのたにふたばぐんき)」の谷次郎直実(なおざね)役を選ばれました。

 夜の部では私も出演する「天網島時雨炬燵」の治兵衛役です。どうぞご期待ください。

豊竹咲甫大夫(とよたけ・さきほだゆう) 
1975年、大阪市生まれ。83年、豊竹咲大夫に入門。86年、「傾城阿波の鳴門」おつるで初舞台。今回の「天網島時雨炬燵」紙屋内の段では端場を務める。

◇「天網島時雨炬燵」は4月4~26日、大阪・国立文楽劇場(15日休演)。14日までは午後4時、16日からは午前11時開演。詳細はticket.ntj.jac.go.jpで。

(構成・嶋 浩一郎、福山嵩朗)

※ふたば…環境依存文字のため、ひらがなで表記。元の字は1文字で「女」偏に「束」と「欠」

週刊朝日 2015年4月10日号