「存在そのものが芸」桂米朝さんを担当記者が偲ぶ 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「存在そのものが芸」桂米朝さんを担当記者が偲ぶ

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桂米朝さんを偲んで… 

桂米朝さんを偲んで… 

 上方落語の復活に尽力した桂米朝さんが、3月19日、肺炎のため亡くなった。享年89。長年、担当記者として米朝さんと接した、朝日新聞大阪本社生活文化部記者の篠塚健一が「老いの理想の姿」と晩年の姿をこう書く。

*  *  *
 68年の芸歴。気が遠くなるほど大勢の人たちを笑わせてこられたはずだが、ご本人もまた、よく笑う方だった。冗談に「アハッ」となんとも楽しそうに声を出して笑う、屈託ない顔が忘れられない。

 一昨年まで朝日新聞大阪本社版で連載「米朝口まかせ」を担当し、各界のゲストを迎えるラジオ番組「米朝よもやま噺」(朝日放送)の収録に立ち会う幸せに恵まれた。スタジオに伺った2007年6月、挨拶すると「よろしゅう、おたの申します」。あのはんなりとした関西弁で気さくに頭を下げてくださった。

「皆ホンマに酒が強かった。そやさかい、たまに集まって飲みながらアホなことを言いあってたんや」

 1963年から始めた関西の同志たちとの「上方風流(ぶり)」の活動を、そう振り返った。地盤沈下が進む上方芸能の未来を考えた伝説的な取り組みを、「遊びの延長やった」と飾ることなく話していた。消えかけた落語を復活させてきた偉業も、自身に言わせれば「おもろなったんや」ということになる。

 80歳を過ぎていて冗舌に語ることはなかったが、名聞き役だった市川寿憲さんの進行でポツリと口にする言葉に重みがあった。脳梗塞で倒れた6年前から車いすでスタジオに。弱っていかれるのはわかったが、お酒とたばこ、そして肉が好き。甘い物にも目がなくて、収録中もパクパク召し上がっていた。

 芸の話題になると澄んだ瞳はいつもキラキラと輝いていた。たまに舞台に出られる時も客席を見渡して、うれしそうな笑みを見せるだけで観客はわきあがった。存在そのものが芸。芸人として生涯をまっとうしていく手本を身をもって教えていた気がする。衰えても愛される。それは人が老いていく理想の姿であったかもしれない。

週刊朝日 2015年4月3日号


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