大塚勝久おおつか・かつひさ 1943年、桐箪笥の産地として有名な埼玉県春日部市の桐箪笥職人の息子として生まれる。10代のころから父の桐箪笥店を手伝い、69年、社員24人の株式会社大塚家具センターを設立。「購入後も満足していただけるように、商品知識とお客様のニーズを把握した社員を育てることが大事」が経営の原点 (c)朝日新聞社 @@写禁
大塚勝久おおつか・かつひさ 1943年、桐箪笥の産地として有名な埼玉県春日部市の桐箪笥職人の息子として生まれる。10代のころから父の桐箪笥店を手伝い、69年、社員24人の株式会社大塚家具センターを設立。「購入後も満足していただけるように、商品知識とお客様のニーズを把握した社員を育てることが大事」が経営の原点 (c)朝日新聞社 @@写禁

 一代で大塚家具を上場企業に育て上げたカリスマ経営者、大塚勝久会長(71)に対し、「お父さん、時代は変わったのよ」と退場を求めた長女、久美子社長(47)。父娘の壮絶なプロキシファイト(委任状争奪戦)が3月27日の株主総会で決着する。渦中の勝久会長が手記を本誌に寄せた。

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 まずはじめに、このたびは世間の皆様をお騒がせし、何より大切なお客様、社員とその家族、お取引先様にご迷惑をおかけして本当に申し訳なく思います。 

 なぜここに至るまでに社内や家庭内で解決できなかったのか、とお思いでしょう。それはひとえに私の甘さと力不足が原因であったと深く反省しています。

 久美子が大塚家具に入社したのは1994年。以降、取締役や顧問を務めて2005年、退職しました。その後は、コンサルティング会社を立ち上げるなどしていましたが、経営が思うようにいかず、私はお客様を紹介するなど、できるだけの支援はしていました。

 その後、久美子から「何とか戻れないか、社長にしてほしい」と何度となく頼まれ、実際上、私が指名する形で09年に社長に就任しました。久美子は、取締役時代から私の進める会社の経営方針に反対していました。よほどの根拠と裏付けがあり、十分知り尽くした上でのことと考えていたので、就任時は、久美子を信頼し、期待していました。

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