金子兜太俳人かねこ・とうた 1919年、埼玉県生まれ。43年、東京帝国大学を卒業、日本銀行へ。その後、海軍経理学校を経て、主計中尉としてトラック島などで従軍。戦後は日本銀行に復職、俳人としても活動しながら定年まで務めた。俳句誌「海程」主宰。現代俳句協会名誉会長、朝日俳壇選者。近著に『他界』(講談社)など(撮影/写真部・工藤隆太郎)
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金子兜太
俳人
かねこ・とうた 1919年、埼玉県生まれ。43年、東京帝国大学を卒業、日本銀行へ。その後、海軍経理学校を経て、主計中尉としてトラック島などで従軍。戦後は日本銀行に復職、俳人としても活動しながら定年まで務めた。俳句誌「海程」主宰。現代俳句協会名誉会長、朝日俳壇選者。近著に『他界』(講談社)など(撮影/写真部・工藤隆太郎)

「湾曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン」。現代俳句協会名誉会長、朝日俳壇選者である金子兜太(かねこ・とうた)さん(95)が、長崎赴任のときに作った句だ。青年時代、トラック島(現チューク諸島)で多くの仲間を失った。戦争経験は、金子さんの価値観を変えた。平和への願いは誰よりも強い金子さんだが、中曽根元首相の後輩だったという。

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――昭和18(43)年の夏に大学を繰り上げ卒業となった金子さんは、日本銀行に入行した。が、在行したのは3日だけ。生きていたら復職できる“紐付き退職”で、海軍経理学校を受験して合格した。

 経理学校の2年先輩には中曽根(康弘)さんがいたんです。クソ真面目でお利口だから、中曽根さんは成績が凄く良かったらしい。まあ、負けたあとの日本をどうするかと考えていたんじゃないですか。

 これは自慢したくてしょうがないからするんだけど、試験官の主計大尉と中尉に、いきなり「君の尊敬する人は誰だ」と聞かれたんだよ。ちょうど太宰治の『右大臣実朝』を読んだばかりで、実朝っていい男だなと思ってたから、思わず「源実朝であります」と言っちゃったんだよ。2人は顔を見合わせて妙な表情をして、「おお、なかなか変わった人物を尊敬しているなあ」と。で、私は聞かれたら「鎌倉時代の戦乱の中であれだけ純粋に歌を詠めたのは、よほど肝の据わっていた男じゃないでしょうか」と、命がけで歌に傾倒した実朝像を語ろうとしてたら、「分かった、それじゃ結構だ」と帰されちゃった。だから私は落第だと思った。だけど2人はなかなかセンスのいい軍人で、「実朝です」の一言で、私が文学や美に惚れていると分かったんだね。だめだと思っていたら、合格だった。それが自慢なんですよ、いまでも(笑)。

 5カ月の訓練を終了すると、配属です。私の頭の中には貧しい田舎の人々のこともありましたから、どうせなら華々しくと、「南方第一線」と希望を言っちゃって、本当にトラック島に持っていかれたんです。

週刊朝日 2015年3月6日号より抜粋