文楽名作のひとつである「菅原伝授手習鑑」には、サラリーマン経験者が身近に感じるフレーズがあるという。次世代を担う文楽太夫の一人、豊竹咲甫大夫さんが紹介する。

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「菅原伝授手習鑑」は、菅原道真が政敵の藤原時平にぬれぎぬを着せられて失脚する事件を中心に、周囲の人々の生き様を描いた作品。三月の巡回公演で上演する寺子屋の段は特に有名で、私の人生を変えた演目といっても過言ではありません。今回はそんな思い出を交えて、作品をご紹介します。

 舞台となるのは菅丞相(かんしょうじょう・菅原道真)の弟子、武部源蔵が営む寺子屋。そこで源蔵は菅丞相の子・菅秀才(かんしゅうさい)を匿(かくま)っていたのですが、藤原時平がそれを知り、源蔵に秀才の殺害を命じます。しかし、源蔵は師に不義理はできまいと、一か八か、秀才の身代わりとして新入生の首をはね、首実検に訪れた時平の舎人・松王丸に首桶(くびおけ)を差し出すのです。

 松王丸はその首を秀才だと認めて持ち帰るのですが、身代わりになったのは実は松王丸の子で、菅丞相に恩義を感じていた松王丸がわざと我が子を寺子屋に入門させていたという話。

 いくら忠義を尽くすためとはいえ、幼い子どもが犠牲になるのはあまりにも不憫(ふびん)という思いから、源蔵がつぶやく言葉「せまじきものは宮仕(みやづか)へ」は胸に染み入る名文。サラリーマン経験がある方はとりわけ共感を覚えるフレーズではないでしょうか。

 寺子屋の段は時間にすると一時間十二分ですが、太夫の間では屈指のしんどい演目と言われています。それはなぜか? 一つは息遣いです。この段で太夫が息を見せてもよいのは松王丸が咳(せき)払いをする時だけで、自分自身の息遣いは見せてはいけないのがルール。すべての登場人物が緊迫した状況に身を置くため、自分の息ができない展開が多く、心身が、まるで雑巾がギュッと絞られているような極限状態になるのです。

 私が初めて務めたのは初舞台から十六年が経った二十六歳の時。一つの集大成として師匠にお稽古をつけていただきました。

 太夫の稽古は通常、三味線弾きさんにまずつけてもらいます。冒頭の「引連れ急ぎ行く」の一行だけで世界観を表現するのに一時間、床本一枚(約四十文字)に二時間を費やすほど、稽古は大変なものでした。

 表現の難しさで言えば、源蔵が寺子屋に戻って独り言をつぶやくシーンなら、お客様に分かるように語れば独り言にならず、本当の独り言になるとお客様には聞こえないため、五百人以上のお客様に独り言と聞こえるような表現を身につけなければなりません。

 松王丸が眼前の首を確認し、「コリャコレ、菅秀才の首討ったは、紛(まが)いなし、相違なし」という一文も、「紛いなし」は源蔵に向かって「我が子をよく討ってくれた」という賛辞として語り、「相違なし」は同行する敵方を欺くための言葉なので、真意を隠しながら表現することが必要です。

 これらを習得するため、寺子屋の段だけで毎日一、二時間の稽古が一年間に及びましたが、浄瑠璃語りとして大きな自信になったのは確かです。

 両親との別れや子どもができるなど人生経験によって太夫の思いも変わる。浄瑠璃とはそういうものだと思います。今年四十歳になります。四十代として説得力のある寺子屋をいずれ務めたいと思います。

豊竹咲甫大夫(とよたけ・さきほだゆう) 
1975年、大阪市生まれ。83年、豊竹咲大夫に入門。86年、「傾城阿波の鳴門」おつるで初舞台。今回の巡回公演では「義経千本桜」と「釣女」に出演する。

※「菅原伝授手習鑑」は3月7~28日、巡回公演の夜の部で上演。スケジュールは文楽協会HP(bunraku.or.jp)。開演時間、料金は各会場に問い合わせを。

(構成・嶋 浩一郎、福山嵩朗)

週刊朝日  2015年3月6日号