会場は定員50人を超えるほど大盛況だった。トークは白熱し、22時近くに終了した(撮影/写真部・大嶋千尋)
会場は定員50人を超えるほど大盛況だった。トークは白熱し、22時近くに終了した(撮影/写真部・大嶋千尋)

 本誌連載でおなじみの漫画家・岡野雄一さんと、文筆家の平川克美さん。そんななか、ふたりのトークライブが2月2日夜8時から、東京・下北沢の書店「B&B」で実現した。介護の経験を経て年齢を重ねてきたからこそ見えてきたもの、得たものを語った。

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岡野さん(以下、岡):母に「胃ろう」の選択をしてから亡くなるまでの1年半で、死に対する覚悟ができました。それは自分に対しての覚悟でもある。生きづらい世の中になると「もう死んでもいいかな」と(笑)。今のは冗談ですけど(笑)。

平川さん(以下、平):介護は一種の儀式。自分には子どもがいて、親にもまた親がいる。先祖代々続く、長い時間の帯があり、そのなかで自分が生きている。生きられる時間はだいたい決まっていて、帯のなかにある役割を果たしているだけなんだと思うようになりました。じつは50歳ぐらいのときに、周囲で介護が始まっている人を見て、「自分も介護が始まったら面倒くさいことになる」と思っていました。「あんなことやるのかよ」と鬱陶(うっとう)しいとまで思っていた。母が亡くなり父がひとりになって、放っておけないと思ったときに、気合を入れました。山に登る感覚です。やってみたら当初考えていたものと違う世界がそこにあって、大変だったんですが、「小さいことのほうが大きいことよりも大事だ」ということに気がつきました。作家の関川夏央さんが僕の本の書評を書いてくれた。そのなかで介護を「些事(さじ)」と表現した。「大事よりも些事が大事」と。世界の出来事とはまったく関係なく、どんなことがあっても朝飯は作らないといけない。介護の真っ最中に東日本大震災が起こり、マスコミから「震災についてどう思うか」という取材も入った。「今日は飯を作らないといけないから」と言って断った。大きな仕事が入っても、小さなことを優先しなければならない。それが介護。

岡:認知症介護の「些事」の一方で、今の世界、日本を取り巻く環境も妙な状況になっています。小さいことは大きいことにどう関係するんでしょうか。

平:それはとても難しい質問ですね。ただひとつ言えることは、小さなこと、あるいは周りにいる人にやさしくできない人が、世界の人たちに対してもやさしくできるはずがない。言葉でいくら、「ご家族の悲しみは察するに余りある」と言っても、本当にその人が目の前に現れたとき、寄り添うことができなければ空疎な言葉でしかない。言葉では何でも言えるんですよ。目の前を歩いている人がつまずいて転んだら手を差し伸べることができるかどうか。そういうことの積み重ねが世界をつくっているんだと思うんです。

岡:その一方でネット上には、「手を差し伸べる」ような映像も出回っています。

平:そこもアンビバレント(相反する感情が同時に存在する状態)なんだけど、「些事」は人に見せるものではないし、介護の体験を言うのも書くことも本当は恥ずかしい話であって、本来孤独な作業なんです。介護の本も正直書きにくいときもありました。岡野さんも書いて有名になっちゃってさ(笑)。

岡:ちょっと上から目線ですね(笑)。

平:ジェラシーです(笑)。

岡:冗談です(笑)。

平:介護の行為自体は誰も見てくれない孤独な作業なんです。別に下の世話をしてもほめてくれるわけでもないし。でも介護を語るなかでは、とても大事なことなんです。

週刊朝日 2015年2月27日号より抜粋