※イメージ写真
※イメージ写真

 新右翼団体「一水会」の木村三浩代表は後藤健二さんが殺害される直前の1月31日、独自の解放交渉をしようとヨルダンに渡っていた。「イスラム国」との窓口となる人物との交渉の中で、日本政府の対応に疑問を持ったという木村氏が激白した。

*  *  *

「イスラム国」(ISIL)の人質事件が発覚して以来、日本政府が有効な対策を打てずにいるのに歯がゆい思いでいたとき、かつて「参院のドン」と呼ばれた村上正邦元労相とお会いしました。「アルジャジーラなどアラビア語の国際放送で『テロには屈しないが、人質は殺すな』という日本政府のメッセージを流すべきだ」と話したら賛同していただき、自民党幹部にもお話ししていただいた。

 この幹部は政府にも情報として上げたようなのですが、結局、政府の動きはないまま、1月24日には湯川遥菜さんが殺害されたことを示す動画がインターネットに流された。「日本政府は何もしなかった」「十字軍に入ったのか」と相手に口実を与えてしまってはまずいと思い、自らヨルダンに行こうと決意しました。

「一水会」はイラク戦争を起こしたアメリカ政府を以前から批判してきており、フセイン元大統領の支持母体だったバース党関係者に人脈があった。今回はそうした知人を通じアレンジしてもらったヨルダン人のムーサ・アブドラ弁護士に会うことができました。

 ムーサ弁護士は2013年にシリアで人質となったスペイン人ジャーナリスト2人の解放交渉に成功した実績がある人物です。私が渡航した時点では、後にサジダ・リシャウィ死刑囚と同日にヨルダン政府に処刑されたジャド・カルブリ死刑囚の主任弁護士を務めていました。

 カルブリ死刑囚はイスラム国の前身となった「イラクのアルカイダ」を率いたザルカウィ容疑者(06年、米軍の空爆で死亡)の元側近。ムーサ弁護士はイラクのイスラム国支配地域内に住む彼の関係者と頻繁に連絡を取り合っており、イスラム国側に日本からのメッセージを伝えるには適任と考えました。 

 ヨルダン入りした1月31日の夕方にムーサ弁護士に会い、「一人(後藤さん)の命は守ってくれ。一人(湯川さん)は、遺体を返してほしい」とイスラム国に伝えるようお願いしました。ムーサ弁護士は「まずは生きている人を救わないと。努力しないといけませんね」と、協力を約束してくれた。

 会談の途中、ムーサ弁護士にイスラム国の人間から電話がかかってきて、話すことができました。イラク西部アンバル州の有力部族であるアルカブリー一族で、カルブリ死刑囚の親族です。ムーサ弁護士は『今、ヤパーニー(日本人)と人質について話しているところだ』と、電話を代わってくれた。私がアラビア語であいさつすると、相手は「歓迎します」と言いましたが、口調は冷淡でした。自分ももし、イスラム国に入ったら厄介なことになるかもしれないと感じた。それくらい、日本への反感が高まっているようでした。

 その日の夜、少しでも情報を収集しようとヨルダンの11の部族長が集まった会議に出席しました。部族長たちの間ではイスラム国について意見が分かれていた。中にはパレスチナ解放戦線に近い人物もいて、現地の人間関係は複雑に入り組んでいました。その場で有効な情報が得られぬまま、大変残念なことに、この日の夜、後藤さんを殺害した動画がネット上にアップされてしまいました。もう少し早く現地に入っていればと悔やまれてなりません。ムーサ弁護士には「2人の遺体を返してほしい」という要求をイスラム国に伝えるよう、改めて依頼しました。菅義偉官房長官は遺体の引き取り要求について「話が通じるような集団ではない」と難色を示していましたが、ご遺族の意向も聞かず、一方的に語ったことは傲慢だと思いました。「どんなことがあっても日本人の骨を収容する」と言うことが、相手に対しても抑制効果を生むんです。そんな小さな危機管理もわからないのか、と腹が立ちました。

 人質事件への日本政府の対応については、私は大いに疑問を感じています。

(構成 本誌・小泉耕平)

週刊朝日 2015年2月27日号より抜粋