きっと彼は、11月25日のことを考えていたのでしょう。

 事件の当日はニューヨークにいました。夜の12時頃に読売(新聞)のワシントンにいる記者から電話がありました。彼は私が三島さんの友人だということを知らず、ただ親日的なアメリカ人として「三島さんが今日、切腹しましたが、ご感想は?」と訊いてきたんです。私は何も言えなかった。私はたまたまニューヨークにいた永井道雄さんのホテルに電話しました。当時、朝日新聞の論説委員だった永井さんはすぐに東京に問い合わせてくれて、「本当だ」と。

 その後は朝の7時まで日本のマスコミからの電話が鳴りっ放し。一様に「自殺の気配は」と訊いてきて、私の返事も同じ返事。やがて自分の声が他人の声のように思えてきて、自分が一種の機械になったような気がして、何も感じられなくなりました。

 2、3日後に三島さんの最後の手紙が届きました。奥さんが机の上にあるのを見つけて、押収される前に送ってくれたのです。その手紙を読んで、初めて三島さんの死を事実と認められました。

 自死の理由は、いまもわかりません。

週刊朝日 2015年2月20日号より抜粋