坂本龍一や泉谷しげるら、さまざまなミュージシャンとのコラボや楽曲提供で、後続に大きな影響を与えた、今は亡きロックスター・忌野清志郎。クリエイティブディレクターの箭内道彦氏も、託されたものがあるという。

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 最初に清志郎さんに会ったのは僕が博報堂を辞めてフリーになった後の2004年ごろ。タワーレコードのコマーシャルに出ていただいたんです。僕は学生時代から大ファンで、もちろんそのことは内緒にしていましたが、たぶんバレていたと思います(笑)。

 当時息子さんが高校生で「親が忌野清志郎だってバレないようにしてる」「家に友達を連れてきても、俺に会わせないようにササッと自分の部屋に行っちゃうんだ」って、ちょっと寂しそうに話していたことが印象に残っています。

 僕のラジオ番組に出てもらったとき、「清志郎さんにとってコマーシャルってなんなんですか?」って聞いたことがあるんです。そしたら即答で「アルバイト!」って(笑)。あれはおかしかったなあ。

 出禁になったラジオ局やテレビ局も多かった。清志郎さんは戦うときには本気で戦う。でもそれは愛嬌やチャーミングさがある戦いかたで、決して殴り込みや銃撃じゃない。僕は彼の「愛し合ってるかい?」を最初はライブを盛り上げる合言葉にしか思っていませんでした。でもいまになって一方的な愛ばかりのこの世の中で「愛し合う」ことの本当の必要性を清志郎さんはずっと前から言ってくれていたんだとわかった。清志郎さんはユーモアやチャーミングさで人と人を冷静に温かく仲直りさせる力があった唯一の人なんじゃないかと思うんです。

 2011年5月に開催された武道館「ロックン・ロール・ショー」で、黒柳徹子さんが寄せたビデオメッセージも印象的でした。「あなたはずっと前から原発のことなどを命がけで歌っていた。でも私たちはその訴えをしっかり受け止めることができていなかった」という内容だったと思います。

 ただ危険だなと感じるのは「いま清志郎さんがいたらどうしただろう?」を考えるのは自由だけど「きっと怒っていたに違いない」などと勝手に断定してそれを利用するようなムードがあることです。そうではなく、一人ひとりが清志郎さんから受け取ったものを、どう自分の行動に変えていくか、が大事。いまの時代にこそ清志郎さんにいてほしかったと思うけど、僕らは「あとはよろしく。お手並み拝見」と託されたんだと思っています。

週刊朝日 2015年2月20日号