“伝説のディーラー”と呼ばれた男、藤巻健史氏は批判する。先日行われた、スイスフラン相場の上限撤廃に伴うフラン急騰について、こう解説する。

*  *  *

以下は、私がモルガン銀行支店長時代に金融業界やマスコミに流していたファクス通信の1998年1月20日付の一部だ。

「朝9時から、仲の良い外国人投資家の一人が私を訪ねてきた。他の米系証券なら、幹部全員が整列、直立不動で迎えいれるような方である。しかし、我が銀行では直属の部下ウスイ嬢でさえ立とうとしない。彼が帰られた後、『ウスイ、あの人が有名な**さんだぞ』と言ったら『うそ~、ちっともお金持ちに見えませんね。フジマキさんも貧弱だし、2人で話をしているのを見ていたら、戦前のどこかの寒村での飢饉対策村長会合かと思いましたよ』」

 彼は高級車ではなく地下鉄でホテルに帰っていった。気さくな人だった。

 その**さんとはポンド売りで「英国中央銀行(BOE)に勝った」ことで名を馳せたソロス・ファンドの大幹部の一人である。

★   ★
 欧州でユーロという通貨に統合する際、ユーロに参加するためには「マルクに対して通貨を固定する」という条件が課されていた。一時的な固定相場制である。

 当時ユーロに参加を希望していたイギリスは「1ポンド=2.95マルク、最低でも1ポンド=2.778マルクまでにしなさいよ」という制約があった。ところが、92年の英国は景気が非常に悪く、ポンドが弱くなろうとしていた。ポンドの価値を守るためにはBOEが利上げをすればよいが、景気が悪いのでできない。ドイツが金利を下げてマルクを安くするのも一法だったが、東西統合後のインフレ基調で金利を下げられない。中央銀行といえども手はなく、ポンドは1ポンド=2.778マルクを割って弱含まざるを得ない。そう読み、ポンド売りを仕掛け、大儲けしたのがソロス・ファンドだ。

 1月15日、スイス中央銀行(SNB)がスイスフラン相場の上限(1ユーロ=1.20スイスフラン)の撤廃を突然発表した。予想だにしていなかったので私も大変驚いた。この日スイスフランは一時1ユーロ=0.8517スイスフランまで急騰した。ドル円で考えると、1ドル=120円が一瞬にして85円になったようなものだから、その衝撃度はすごかった。

 この時点で1月22日の欧州中央銀行(ECB)定例理事会でさらなる金融緩和の決定が予想されていた。そうなればユーロ安が進み、SNBが大量のスイスフラン売りの為替介入をしても上昇を抑えきれなくなる。まさに92年のBOEのようになってしまい、「中央銀行がマーケットに負けた」との汚名をSNBが着せられる可能性があった。それを避けるためだったと想像する。しかしいくら中央銀行といえども、恣意的な操作でマーケットには抗しがたいのだ。また、今回、失敗し、撤退を余儀なくされたとはいえ、SNBがスイスフラン相場の上限を3年以上にわたって設定してきたのは、経済の悪化を防ぐためだったことも覚えておきたい。自国通貨が高くなると経済に悪影響が及ぶことをSNBは熟知していたのだ。

 ところでこのニュースの後、テニス仲間のMさんが言った。「SNBが上限を設定していたなんて知らなかったよ」。知っていたらMさんのことだから、「円買い/スイスフラン売り」をして今頃大やけどを負っていただろう。生兵法は怪我のもと。

週刊朝日  2015年2月6日号

著者プロフィールを見る
藤巻健史

藤巻健史

藤巻健史(ふじまき・たけし)/1950年、東京都生まれ。モルガン銀行東京支店長などを務めた。主な著書に「吹けば飛ぶよな日本経済」(朝日新聞出版)、新著「日銀破綻」(幻冬舎)も発売中

藤巻健史の記事一覧はこちら