美智子さまの行動に、米女性儀典長が涙した訳 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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美智子さまの行動に、米女性儀典長が涙した訳

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週刊朝日#皇室
2011年4月、千葉県旭市を訪れ被災者と話す両陛下 (c)朝日新聞社 

2011年4月、千葉県旭市を訪れ被災者と話す両陛下 (c)朝日新聞社 

 12月23日、天皇陛下は81歳の誕生日を迎える。1989年1月7日、55歳で即位した天皇陛下は、皇后美智子さまとともに、平成流皇室を築き上げてきた。元朝日新聞編集委員の岩井克己氏が96年から10年半にわたり、侍従長としておそばに仕えた渡辺允(まこと)氏(78)に、おふたりが歩いた道のりを聞いた。

*  *  *
岩井:陛下は言葉だけでなく行動される。東日本大震災直後に当時の石原慎太郎都知事が被災地には若い皇族を派遣したらどうですかと言ったら、後で陛下が知事のところに歩み寄り、「やはり、私が行きます」とおっしゃった。知事は記者たちにそのことを明かし、「男だねえ」と言ったとか。

 避難所お見舞いでもできるだけ大げさにならないよう、ぶっつけ本番で話しかけられることも多いですね。頭で情報をやりとりするような形でなく、何が起きるかわからないが、とにかく向き合って一期一会という。

渡辺:まったくそのとおりで、陛下と皇后さまも補い合っておられるところがあると思います。

 多くの人との関係は、一瞬ですね。ひと言、ふた言ですね。皇后さまは、そのひと言ふた言が、相手の胸に響くようなことを言われる。陛下のほうはもう少し一般的。「どうですか?」と。天皇だなという感じ。

岩井:名も知らない庶民とぶっつけ本番でお会いになるのが、とても喜びでらっしゃるようにもみえます。

渡辺:皇后さまの傘寿の文書回答でこれまでの80年間を振り返る中で、天皇陛下が手術から退院されて葉山の町を散歩していたら、通りかかった男性が車から降りてきて「陛下よろしゅうございましたね」と言ってまた車に戻った。幸せな気持ちがしたと。そういうことを覚えておられる。

 地方行幸啓などでは、車でホテルに到着されると目の前に大勢の歓迎の人たちがいる。われわれの想定では、車を降りてその人たちに手を振られながらホテルに入られるはずなのに、しばしばその人たちに近寄っていってしまわれる。「どこから来られましたか」などの話になる。自然といえばそうかもしれない。サイパンご訪問で、着いた日の夕方に日本から来た遺族や戦友会の方たちとお会いになる機会があった。約40人が半円形に並んでいて、代表の人が挨拶をしてすぐに終えられる予定。その後に食事会もあり、翌日には猛暑の中で慰霊に回られる厳しい日程が控えていたからです。

 しかし、その部屋に入られたとたんに並んでいる人に端から順番に話しかけられた。ずいぶんと時間が経ってしまった。しなきゃいけないとか、したいからしているとかいうより、何というか自然なんです。

岩井:なさりようは海外での王室や国民との親善でも同じでしょうね。晩餐会で正装でエスタブリッシュメントの方たちと接するときも、想定外で地元の一般庶民の人たちとやり取りするときも、人間同士おんなじと。

 象徴天皇の海外親善としては、その部分が非常に大事なのかもしれませんね。渡辺さんは何度も外国訪問にお供されたわけですが、印象に残る場面は?

渡辺:オランダのライデン大学で、構内をゆっくり歩かれた。たまたま留学生がいたり、学生寮から女学生らが身を乗り出していると、すっと近寄って話しかけられた。

 アメリカ訪問では、シークレットサービスが両陛下が人々の中に入っていかれるのにはじめは反対だった。アメリカ人は遠慮がないから、ひしめいてだれか転んだりすると危ないと。しかし彼らはがっちりと腕を組んで退路を確保して十分に両陛下がなさりたいようにしてくれました。他の外国要人だと、そういうことはしないのかもしれませんね。

 皇太子時代の両陛下の親善訪問を担当したセルワ・ルーズベルトさんという米国の女性儀典長が回顧録で「両殿下はレセプションなどで表面的な挨拶ではなく本物の会話をなさっていました」「ワシントンのホスピスで、妃殿下が老人の一人ひとりに示された優しさに心を打たれました。実は、在任中に、このときだけは、仕事中に涙が出て、止めるのに苦労しました」と書いたことがありましたね。とても印象に残ったのだと思う。

週刊朝日  2015年1月2-9日号より抜粋


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