上杉家9代目当主 武田信玄の子孫、16代当主と「川中島」で対決した結果は… 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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上杉家9代目当主 武田信玄の子孫、16代当主と「川中島」で対決した結果は…

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 上杉子爵家9代目当主の上杉孝久(たかひさ)氏は、当主になったことがきっかけでレレビ出演が増えたという。

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 江戸時代、うちの江戸屋敷は六本木にありました。上杉家のほか、一柳家、片桐家など、木に関係した名前がついた大名の屋敷が6邸あったから六本木という地名になったのだとか。

 明治時代に六本木から四谷に移りました。記憶に残っているのは、敷地に立っていた大きな蔵。住んでいた家屋よりも大きくて、入り口には大きな南京錠がついていました。三重の重たい扉を開けると、夏でも冷たい空気が流れ出てくる。中は2階建てで、いっさい光は入ってこない。悪さをして、母から「お蔵に入れますよ」と言われたときの恐怖といったらない。すぐに反省しましたよ(笑)。

 四谷あたりは、空襲で焼け野原になりましたが、蔵は丈夫で火にも強い。近所にもいくつか無事な蔵があったのですが、まわりの火が収まったころ、突然爆発したそうです。熱せられて、蔵の中の空気が膨張するからですが、上杉鷹山(ようざん)以来の教えを守ったわが家の蔵は無事でした。簡単な話で、「蔵の中には水を入れた大きなかめを置くべし」というものです。まわりが火の海でも、水が蒸発して蔵の中の温度が保たれるのでしょう。家屋が燃えてしまった祖母の幸子(ゆきこ)と母は、戦後2年間ほど、この蔵に住んでいたそうです。

 祖父・勝憲(かつのり)は戦前に亡くなり、上杉の本家から養子に入った勝昭(かつあき)が8代目となりましたが戦死。男の当主がいなくなった家を取り仕切ったのは祖母です。祖母は、それこそ武将のような人でした。座っても、ビシッとしてまったく動かない。威厳があって、ちょっと近寄りがたいくらいでした。

 一人娘だった母は、豪商の粕谷(かすや)家に嫁入りしました。粕谷家は赤坂にあり、うちよりも風流で立派な屋敷でした。しかし、子爵だった上杉家のほうが家の格は上だからと、父は赤坂の家を売って、祖母と一緒に上杉家に住みました。母は、「あっちの家のほうが良かった」とずっと言ってましたけどね。

 祖母の強い願いで、私は中学のときに上杉家へ養子に入り、粕谷から上杉に名字がかわりました。分家とはいえ上杉家の当主になったおかげで、私はかなりテレビに出ています。

 例えば、日清サラダ油のCM。もう20年以上前になりますが、「殿さま」というあだ名の人物が、大好物の鮴(ごり)の天ぷらを食べて高笑いをする、というCMでした。本物の殿さまを使おうということになり、たまたまディレクターの親友だった私に話がきたのです。

 問題は、その人物が金沢に赴任した前田さんという設定だったこと。金沢の武家屋敷の表札を「前田」に替えるところからCMは始まる。おかげで、上杉家が治めていた米沢(山形県)の人たちから「なぜ『前田』で出なければいけないのですか」って、ずいぶん怒られました(笑)。

 3年前には日本テレビの「DON!」という番組で、信玄の子孫、武田家16代当主の武田邦信さんと「川中島の戦い」をしました。湯島(東京都)にある焼き鳥屋「川中島」で、Wiiの「戦国無双3」というゲームをしたのですけど、負けてしまった……。あとから悔しさがこみあげてきてねえ。練習しておけばよかった。

(構成 本誌・横山 健)

週刊朝日  2014年12月26日号


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