日本を代表する銀幕の大スター、高倉健(本名・小田剛一)さんが悪性リンパ腫のため11月10日に亡くなった。205本の映画に出演しつつ、スクリーンの中だけでなく、その“生きざま”を通じて多くの人々を魅了した。健さんらしい「美学」を貫いた83年の人生だった。
健さんの逸話は数限りない。そして一つひとつに意味がある。撮影現場で休憩中も座らず、雪の現場でも室内に入らないのは、次の演技への集中を切らさないため。共演者やスタッフら、若手や裏方に気配りし、気遣いあふれる差し入れや贈り物をする。これについては、こう語っていた。
<若い頃の自分を思い出すから、よけい弱い立場の人に威張るのは、恥ずかしい奴のすることだと思っています。若い世代には、“今の辛抱が大切なんだよ”と心の中で励ましたい>(「文藝春秋SPECIAL」2013年春号)
仕事へのこだわりも知られる。たとえば衣装にしても、役柄を考え、自ら注文をつける。スタイリストが新しいジャンパーを用意しても、それでは通じない。
「役の設定が何歳か、住まいは、成育歴は、職業は、年収は、家族は……と詰めていく。そして、着古したように洗ってみてください、と言われるんです。2、3回洗濯機にかけても、『もう一回』とおっしゃったことも。それに、ラーメンの汁が飛んだシミ、といった細かい希望もありました。ズボンも、着古したようにするため、すその折り目をやすりでけずりました」(親しいスタイリスト)
撮影ではさまざまなアイデアを自ら出して、演出に加わった。演出といえば、あるライターはこんな会話を覚えている。
「地井武男さんが亡くなった直後ですが、健さんは地井さんが街を歩く『ちい散歩』が好きでよく見ていたとおっしゃったんです」
そのとき、このライターが、「演出のない番組ですよね」と話を向けると、健さんはこう話した。
「そんなわけはない。地井さんの頭の中には、緻密な演出があったはずです」
撮影期間は生ものを口にしないなど、プロとして健康管理も徹底していた。長く親交のあった作家の谷充代さんが言う。
「健さんと一緒に世界各地のロケ地へ行きましたが、ヨーロッパでも、アメリカでも、アフリカでも、ほとんど火が通った中華料理しか召しあがらないんです」
学生時代に酒で暴れて以来、酒はやめていた。かわりに多くの共演者やスタッフの印象に残るのが、現場でコーヒーを飲む健さんの姿だ。
「コーヒーが大好きでしたね。時間を共有したい方にはコーヒーを飲もうと誘っていました」(谷さん)
寡黙で不器用――そういう役柄からのイメージと、親しい人たちが見た実際の健さんは少し違う。
「よくしゃべる方で、しゃべりだすと止まらない。博覧強記というんですか、何でも知っていて、アイデアの多い方でした」(知人)
“メカ好き”でもあり、カメラやパソコンは何台も持っていて、新しいものに目がなかった。自動車電話も、早くから使っていたという。
※週刊朝日 2014年12月5日号より抜粋