昭和3年に執り行われた即位礼紫宸殿の儀で高御座に昇った昭和天皇 (c)朝日新聞社 @@写禁
昭和3年に執り行われた即位礼紫宸殿の儀で高御座に昇った昭和天皇 (c)朝日新聞社 @@写禁

 若き昭和天皇は、国民の憧れと希望の象徴。相次いだ天皇への直訴は、変革を望む国民の期待の表れだった――。作家の澤地久枝さん(84)は、国民の目から見た昭和天皇像を昭和3年の「昭和天皇実録」に着目して読み解いた。

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 驚いたことのひとつはこの年、天皇への「直訴」がたびたび行われていたことだ。大正十二年十二月二十七日、摂政の時代に、難波大助によって狙撃される事件が起きた。昭和三年は内外ともに世情騒然というときに、相次いで「直訴」が起きている。

 一月八日、陸軍始観兵式の帰途、広島県出身の職工、大北勝三が沿道から飛び出し、御料車の手前で捕らえられる。

 三月二十日、東京駅に向かって丸ビル前通過の際、野田醬油(しょうゆ)職工、堀越梅男が争議に関する直訴をしようとして捕らえられる。

 六月十九日、豊島岡墓地行幸の帰途、護国寺前丁字路で、北豊島郡在住根岸順一郎が直訴。

 六月二十二日午前、東京大森の干海苔(のり)業者鳴島音松が赤坂離宮正門から駆け込み、捕らえられる。

 七月一日、御料車が赤坂離宮を出る際、行商人相良豊次郎は経済不況、治安維持法改正などの不満を訴えようとして、警察官に取り押さえられる。

 十月一日、大審院ほかへ行幸の帰途、群衆の中から群馬県佐波郡大島英三郎が飛び出す。大島は虚無思想者で資本主義打倒を目指していたという。

 十一月二十七日、東京駅前で、村越石太郎が群衆の中から飛び出してきて逮捕される。

 十二月二十六日、帝国議会開院式行幸の途中、貴族院正門前で、埼玉県出身茂木政吉が直訴に及ぼうとして逮捕。荒川放水路問題の解決をのぞんでいた。

 直訴が相次ぐ一年である。誤解を恐れずに書けば、これらの直訴の一部は、天皇に対する期待と親近感のあらわれではなかったか。天皇は二十七歳の若さである。

 私の母は一九七二年に六十四歳で亡くなっているが、男性の器量が話題になったとき、「天皇は男前だった……」とぽつんと言ったことがある。

 この年、即位の行幸があるが、写真集や新聞を見ると、天皇はたしかに「男前」であり、はたちそこそこの母には印象深かったのであろう。それが度重なる「直訴」の底流にあるように思われる。

週刊朝日  2014年11月21日号より抜粋