「投手の自信はなかった」 元ドラ1・東尾修が明かすドラフト秘話 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「投手の自信はなかった」 元ドラ1・東尾修が明かすドラフト秘話

連載「ときどきビーンボール」

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ドラフトで4球団競合の末、日本ハムに指名された早大・有原航平投手(10月23日、撮影/遠崎智宏)

ドラフトで4球団競合の末、日本ハムに指名された早大・有原航平投手(10月23日、撮影/遠崎智宏)


 だけど、打たれ続け、叩かれながら、生き抜く術を考えるようになった。プロとはそういうものだ。身体的な部分はプロに入る子たちは十分持っている。そこに努力、そして頭脳をプラスしていく。だから、大いに悩んで、心のタフネスさも身につけてもらいたい。

 ドラフトといえば、もう一つ。西武監督時代の98年、横浜高の大スター、松坂大輔の指名を思い出す。夏の甲子園大会前から、何球団競合しようと1位で行くと決めていた。ドラフト前、当時の堤義明オーナーからは「体清めていけよ」と言われた。当日の朝、右手の爪を切った。日本ハム、横浜との競合でくじ引きの順番は2番。残り2枚の封筒から、最初から右上と決めて選び、引き当てた。

「横浜(現・DeNA)しか行かない」と言っていた大輔を口説くため、私は表向きの初交渉前に都内の焼き肉店で大輔と両親に会った。「監督というより投手出身者として、責任を持って大輔君に200勝させます」。その上で「絶対、客寄せパンダにはしない」「競争で勝ち上がらせる」ことを約束。私の通算200勝の記念ボールを渡した。突き返されるかと内心ドキドキしていた。「この重さをどう感じるか。持っておいてくれ」。大輔が何て言ったかは覚えていないが、ボールをポケットにしまってくれたシーンは覚えている。

 ドラフトは不安と期待が入り交じったものだが、それは球団、現場監督だって一緒だ。この日を境に絆が生まれる。恐れず、思い切って、プロの世界に飛び込んでほしいよな。

週刊朝日  2014年11月7日号


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東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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