認知症の症状を改善させたり、進行を遅らせたりするのは、なにも薬に限ったことではない。芸術療法や回想法、タクティールと呼ばれる“触れる”ケアなども、薬に劣らない効果を示すといわれている。「非薬物療法」が認知症治療のもう一つの柱となっているのだ。

 目の前にある2本のエリンギを、じっと見つめる年配の男性がいる。匂いをかいだり、触ってみたり──。隣の席で、同じようにエリンギを手にする女性に話しかける。

「そちらの、大きいですね」

「匂いはしませんね」

 男性はエリンギを使って料理を始めようとしているのではない。絵を描くのだ。ここは、木村クリニック(埼玉県)が併設する通所リハビリ施設。週に5回開催されているのが、絵画療法だ。記者が訪れた日は、60代から80代の男女8人が参加。うち半数が認知症患者だという。

 それぞれが思い思いにエリンギを鑑賞した後、筆をとって、石膏ボードに色を付けていった。

 認知症をわずらう86歳の女性は、1年近くこの絵画療法に参加している。感想を聞くと、しっかりとした口調でこう答えた。

「一人で家にいても何もしない。みなさんと絵を描いている時間が楽しいし、元気をもらえるの!」

 非薬物療法とは、その名のとおり、薬による治療以外を一括した呼称だ。現在、さまざまな分野での実践が医療機関や福祉施設、介護施設でおこなわれており(下の一覧参照)、認知症がもたらす症状の対処法として、重要な役割を果たしている。認知症治療では、この非薬物治療を薬物治療と組み合わせて進めていく。

 認知症の非薬物療法に詳しい国立長寿医療研究センターの遠藤英俊医師(長寿医療研修センター長)は、「認知症患者さんにおいて、非薬物療法による快い刺激が、脳にいい影響を与えるのは確か」と話す。

「昔の楽しい出来事を思い出しておしゃべりしたり、絵や音楽を楽しんだり、それらを通じて周りとコミュニケーションをとったり……。この活動で脳が刺激を受け、活性化するのです」

 実際、遠藤医師は非薬物療法の一つである回想法を実施しているときの高齢者の脳の状態を調べた。すると、モノを考えたり、想像したりする部分である前頭前野の血流が増えていたという。

「動物実験では、脳の血流が増えると、記憶力や学習力が高まることがわかっています。この研究結果がそのまま人間にあてはまるかわかりませんが、少なくとも脳の血流が増えることで、認知症の進行が抑えられたり、症状が改善したりする可能性は高いと思います」(遠藤医師)

■認知症でおこなわれる主な非薬物療法・ケア
回想法:過去の懐かしい記憶を引き出し、その経験を語り合う
芸術・絵画療法:絵を描いたり、作品を作ったり、芸術鑑賞をしたりする
音楽療法:音楽を聴いたり、歌ったり、演奏したりする
運動療法:有酸素運動や筋トレをしたり、リズムに合わせて体を動かしたりする
作業療法:家事(料理や買いもの)や、手工芸などをする
アロマセラピー:香りをかぐことで、嗅神経から脳神経を刺激し、認知機能低下などの症状の改善を図ったり、進行を遅らせたりする
タクティールケア:手を使って、相手の背中や手足をやわらかく包み込むように触れることで、不安や痛みを和らげる
このほか、園芸療法、動物介在療法、ユマニチュード、パーソン・センタード・ケアなど

週刊朝日  2014年10月24日号より抜粋