定年したら自然豊かな田舎へ移り住んで、のんびりと暮らしたい──。そう考える中高年夫婦は増えている。内閣府の調査でも農山漁村への定住を望む60代以上の割合は、2005年に比べて倍近くに達している。

 地方への移住希望者を支援する認定NPO法人「ふるさと回帰支援センター」(東京都千代田区)によると、13年度の問い合わせ件数は1万件を超す。ちなみにその5年前は3千件程度だった。副事務局長の嵩(かさみ)和雄さんが言う。

「東日本大震災を機に、田舎でのスローライフを考え始めた人は多いです。定年後や、その少し前から生き方を模索し始める50、60代にも根強い人気がある」

 センターは、全国の自治体などから集めた情報を提供するほか、移住した人を招いてセミナーを開いたり個別相談に応じたりする。初めて相談にやってくる人の大半は「なんとなく田舎暮らしに憧れて」と漠然としたイメージしか持っていない。このため聞き取りを進めながら、(1)気候の好み(2)目的(3)移動手段はマイカーか公共交通機関か(4)費用などを把握し、自治体の担当者につなぐのだという。その上でピンとくる場所があったとき、嵩さんが強調するのは「現地には何度か足を運ぶこと」だ。

「普段の生活では車を使うつもりでも、使えなくなったときに慌てないよう、一度は公共交通機関で行ってみてほしい。気候が厳しい季節にもあえて訪問する必要があるんです」

 つまり夢を実現させるためには、入念な準備が欠かせないのだ。茨城県笠間市に住む中野さん夫妻も定年前から通い詰め、短期滞在で農作業を基礎から学び、親しくなった地域住民のおかげでなじむことができた。生活基盤を築くまでに、かなりの時間を費やしている。こうした“手間”に、嵩さんもうなずく。

「皆さん、『空き家なら簡単に借りられるはず』と考えがちですが、実は地元の所有者は案外貸したがらない。簡単には信用できないというのが、大きな理由のようです。地元の風習や地域の人との関係は暮らさないとわかりづらい」

 頭の中で思い描いていた光景と自分たちの生活スタイルのギャップを痛感した夫婦もいる。静岡県下田市在住の井田一久さん(66)と真知子さん(55)夫妻だ。伊豆の海を一望できる高台の中古住宅に移住して10年目を迎える。

 もともと一久さんは建築士の資格を持ち、サラリーマンを経て独立、神奈川県相模原市で設計事務所を開業した。2人の子どもたちの教育が一段落した50代で自宅を売却、妻の親戚がいるこの地へ。夏は東京より気温が5度も低く、クーラーいらず。海の青さや星の美しさにも魅せられた。

「当初は夫婦で家庭菜園や釣りを楽しんでいました。でも、たった半年で飽きてしまって(笑)。絵を描くつもりで庭に建てたアトリエも使わないまま。退屈に耐えかね、ハローワークに行ったんです」(一久さん)

 すると地元建設会社から半年間の現場監督を頼まれた。その縁で設計の仕事を再開することに。06年には、自分たちのような移住希望者の力になろうとNPO法人を設立し、相談やイベントの開催、地元の人や役場との連絡役をこなしている。真知子さんも設計の仕事を手伝いつつガーデニングや地元サークルで卓球、俳句などを楽しむ。

「憧れだけでは時間を持て余すし、家を処分してしまえば戻れない。そうした自分たちの失敗から言えるのは、『目的を明確にする』と『賃貸で様子見を』でしょうか」(同)

週刊朝日  2014年10月24日号より抜粋