亀井家第16代子孫の亀井久興(ひさおき)氏は、自身が政治家になったいきさつをこう語る。

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 最後の藩主茲監(これみ)は幕末に教育改革を断行し、特に国学に力を入れました。津和野からは若いころ国学を学んだ西周(にしあまね)や森鷗外が巣立ちます。彼らは後に西洋の学問を修め、当時の和魂洋才という言葉を体現する存在でした。私は三男でした。父・茲建(これたけ)は日本興業銀行に勤めた後、国策会社である東北開発の総裁になります。東北や北海道と結びつきが強くなり、津和野との関わりは薄かった。私も戦時中に疎開していたぐらいです。ちなみに私が生まれた東京の屋敷はJR原宿駅周辺にあり、母屋は3階建ての洋館でした。後に今の外相の岸田文雄さんの祖父・正記さんにお譲りしました。

 小学生のころから歴史や偉人の伝記を読みあさり、社会問題について関心を持っていました。政治家を志したのもそのころです。

 母方の祖父である旧久留米藩14代当主の有馬頼寧(よりやす)からも大きな影響を受けました。保守、革新を問わず、また政界ばかりでなく各界に交友関係が広かった。その縁もあり大学から社会人にかけて、歴代首相の指南役だった安岡正篤(まさひろ)さんや、その盟友で北一輝にかわいがられた原田政治さん、中国大陸の馬賊の親分小日向白朗(こひなたはくろう)さん、日ソ国交回復や小笠原返還交渉において水面下で動いた馬場裕介さんらとお会いし、戦前、戦中の内外情勢について歴史の教科書にも書かれていないことを教えていただきました。学習院大を卒業し、日本郵船に入りましたが、政界への関心が強くすぐに退社。学生時代にお世話になった大阪の松田竹千代衆院議員のところで運転手兼書生になりました。東京・青山の議員宿舎で一緒に寝泊まりする生活でした。

 ある日、「養子になり跡を継がないか」とありがたいお話をいただきました。先生は戦争でご子息を失っておられたのです。しかし「先生が裸一貫で歩いてこられたことに感銘して弟子になったので、私も先祖代々お世話になった島根でゼロからやります」とお断りしました。生意気でしたね。

 1971年の参院選に無所属で立候補しました。その前に今の自民党幹事長代行の細田博之さんの父吉蔵さん、後の衆院議長桜内義雄さんらにあいさつして回ると、警戒されていたんでしょうね。口々に「自分の秘書にならないか」と言われました。中には名刺まで用意している人もいました。後に首相になる竹下登さんは「(津和野は)自分が一番弱いところだから、君の力にはなれんわな」といった反応でしたね。

 津和野町は人口1万人足らず。亀井家の家臣筋にあたる人たちはほとんど残っていません。筆頭家老の多胡家にはお世話になり、屋敷を入ってすぐ、玄関脇の3畳間を間借りしてました。

 結局、最初の選挙は落選しましたが、約7万4千票を獲得。3年後の初当選に結びつけることができました。ただ両親とも政治家になるのは反対でした。亀井家の名前を使ってほしくないと思っていたのでしょうね。父は選挙の応援には一度も来ませんでした。

 今は長女亜紀子が跡を継ぎ、2007年に参院議員になりました。落選中ですが、元気に島根を駆け回っています。

(構成 朝日新聞記者・渡辺哲哉)

週刊朝日  2014年10月24日号