舞台演出家の栗山民也さんと女優の中川安奈さんの夫婦。演劇関係者からは「どんな夫婦なのか想像もつかない」といわれるそうだが、結婚して20年以上がたった。東京・渋谷の閑静な住宅街に立つ栗山家の居間は、壁という壁が書籍とCD、DVDにおおわれ、まるでライブラリーのようだ。そんな部屋で夫婦は演劇論を繰り広げる?

妻「主人の頭の中には、芝居しかないんです。家にいても書斎にこもって勉強しているだけ」

夫「居間では芝居の話をしないので、結局、何も話さない夫婦だよね。2人の間を徘徊している犬の『がじゅ丸』経由でしゃべっている(笑)。しゃべらなくても通じる空気みたいになるってことは、素敵なことだと思うよ」

妻「でも、大きな仕事をなさっているので、ときどきとっぴなことが起きるんでしょ。そんなとき、話してくださることって、とても面白い」

夫「いや、最近とんでもないことが起きるんですよ。今、演劇と言われるものでも、真に演劇と呼べるのは2割あるかないか。たとえばイギリスなら、シェイクスピアの時代から、その時代を映すものとして演劇があり、演劇の中に政治、経済、歴史、文化のあらゆる問題や思想を込めて、さらに次世代に記憶として継承していこうとする。それが演じる俳優にも求められる基本だと思うんです」

妻「はい」

夫「ところが、日本では歴史でも政治でも面倒くさいことはすぐに忘れていく。したがって、エンターテインメントはあっても、演劇はないと言ってもいい。俳優はといえば、戦争や少し前の時代の話になると、『そんなの知りません』と平然と言う。そこで、僕としては、『演劇を作りたいのか!きちんと勉強してこいっ』と、つい……」

妻「けんかのようなことになるんですね(笑)」

夫「とくに政治に無関心になっていく人ばかりの今、とっても怖いです。今年の8月9日、長崎の平和祈念の式典で、高校生の代表が、『私たちは微力ではありますが、無力ではありません』と述べたのを聞いていて、僕は感動したんです。僕らの仕事も同じだと。微力でもいい、次につなげていきたいと思うんです」

妻「全然微力じゃない! こうして話を聞いていると、考えさせられますし、時間がすぐにたちます」

 夫に話しかけるときの妻の敬語が、なんともほほえましい。舞台演出家と女優の夫妻の出会いは、1991年の舞台「バタフライはフリー」だった。稽古初日、安奈さんは緊張をほぐし、気持ちを高めようとウォークマンで音楽を聴いていた。当然、演出の栗山さんの指示は聞こえない……。

妻「主人が、持っていた台本をいきなりパタンと閉じたんです」

夫「あんなに怒ったのは後にも先にもあのときだけです。絶望して帰りました。天使のような演出家の僕がですよ(笑)」

妻「私は音楽に夢中だったから、それまで主人が怒っていたのも聞こえなかったし、自分が悪いとも思わなかったので、はあ? ナニ怒ってるの(笑)」

夫「それ自体が問題なんです。でも、その突拍子のなさがよかったのかもしれない」

妻「すみません、きちんと育てられていないものですから。自由奔放だったんです」

夫「彼女ひとりのために稽古場が崩壊することはないので、その後、稽古は続き、幕は上がりました」

妻「私は主人の蔵書を見たとき、読みたかった本や大好きだった本がびっしり並んでいたので、同じ屋根の下で暮らすなら、この人だと決めました。そのほかの性格などはお互いに全く違う人間だったから、よかったんじゃないでしょうか」

(聞き手・由井りょう子)

週刊朝日  2014年10月17日号より抜粋