ジャーナリストの田原総一朗氏は、日本は諸外国に対して現実的な姿勢を示すべきだとこういう。

*  *  *

 いま、あらためて思い出す。

 1977年に、私は月刊文藝春秋で「韓国─黒い癒着からの離陸(テイクオフ)」というルポルタージュを書いた。

 当時、日本の多くのメディアでは、世界で理想的な素晴らしい国は北朝鮮だというイメージが定着していた。そして韓国は地上の「地獄」と決めつけられていた。当時の日本のマスメディアは、現在と比べるとかなり左翼的であり、マルクス主義を信奉している人間が多かった。それに対して私のルポルタージュは、韓国は朴正熙大統領の下でいわば独裁政権だが、経済はどんどん強くなっていて、そのうち日本にとって手ごわい国になるというもので、韓国「地獄論」を否定していた。

 すると、批判、非難が出版社にも私のところにも殺到し、あちこちで私の糾弾集会が行われた。私は、いくつかの集会に出た。どこでも、私が韓国の情報機関KCIAに賄賂をもらった、キーセンを抱かされて韓国のPRをしたのだと非難された。

 もちろん、いずれも事実ではない。そして1年半後には、多くの日本人が私のルポルタージュを認めるようになった。私は、いわば現実の韓国を書いたのである。

 ここで強調したいのは、当時、日本のマスメディアの多くは左翼的で、韓国を「地獄」と決めつけていたということだ。それに対し、現在韓国を「悪韓」「愚韓」「呆韓」だと、あらん限りの激しい言葉を使って非難、というよりも否定しているのは、いわば右側の人間たちである。韓国を評価する文章を書いたり、テレビで話したりすると批判、非難が殺到するようである。

 70年代には、左翼の人間たちが韓国を「地獄」と決めつけ、現在では逆に右翼的人間たちが激しい言葉で非難する。この現象をいったいどうとらえればいいのか。

 一見、現象は逆だが、私には共通点があるように思える。マルクス主義信奉者たちが、現実にこだわる人間を「体制の犬」と決めつけたように、右翼的な人間たちはナショナリズムの純粋さを競い、たとえば韓国の魅力を指摘すると「売国奴」と決めつけようとするのではないか。

 意見の違う人間を「売国的」と決めつけるナショナリズムは、中国でも韓国でも吹き荒れた。両国とも、日本より激しかったといえる。

 だが、中国で「内憂」が収まる、具体的には政敵が圧殺されて習近平政権の基盤が確かになると、対日外交が現実的になり始めた。「内憂」が激しいときは、外交で弱みを示すわけにいかず強硬であり続けたのだが、基盤が確かになり、柔軟な姿勢を示し始め、現実的になってきた。おそらく、この秋には日中首脳会談が行われるのではないか。

 中国の対日姿勢が変わり始めたのを、韓国も素早く察知した。このあたり、韓国は極めて敏感だ。外交姿勢を強硬策で持続するときには、ナショナリズムは極めて便利である。朴槿恵大統領は各国で、日本を強く批判し続け、韓国のマスメディアも大きく報じた。ところが、ナショナリズムで応えてくれていた中国の姿勢が、日本に対して現実的に変わり始めた。となると、韓国も日本に対して現実的にならざるを得なくなるだろう。 

 そんな中で、日本が硬直したナショナリズムに呪縛されていると、時代から取り残される恐れがある。政府の当事者たちは、現実的の意味がわかっているとは思うが。

週刊朝日 2014年10月10日号

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田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

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