昭和天皇、キリスト教に関心の理由 (2/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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昭和天皇、キリスト教に関心の理由

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週刊朝日#皇室

 しかし翌22年の11月23日、皇太子は新嘗祭に出ていない。陸軍特別大演習の統監と地方視察のため四国にいたからです。当日は迎賓館として建てられた松山市の久松家別邸、現在の萬翠荘で終日、謹慎することになっていた。ところが今回の実録で、皇太子はビリヤードと将棋をしていたことが明らかになった。

 謹慎すべき日に遊んでいたことが貞明皇后にも伝わり、宮中に激震が走ったんじゃないかと私は推測しています。というのは翌23(大正12)年の実録を読むと、皇太子は半年前の5月に、もう新嘗祭の習礼、つまり練習を始めているからです。この年は新嘗祭をしっかりやらねばならない状況になっていた。

 摂政になる直前の21年、皇太子は半年かけて欧州各国を訪問しました。この訪欧で私が興味をひかれたのは、最後にイタリアに行きローマ法王ベネディクト15世に会ったことです。

 法王はカトリック教会の逸話を紹介し、日本が教会と提携するよう皇太子に勧めた。朝鮮独立をめざす3.1運動が19(大正8)年に起きた際、カトリック教徒が動かなかったことに触れ、「カトリックは確立した国体・政体の変更を許さない。世界の平和維持・秩序保持のため過激思想に対し奮闘しつつある最大の有力団体」と述べた。たとえ日本がカトリック国になっても、天皇制は微動だにしないですよ、と説いたわけです。

 訪欧最後のこの体験が、若き昭和天皇に強い印象を与えたのではないでしょうか。というのは、対米開戦直前の41年11月2日、天皇はローマ法王を通じた時局収拾の検討を東条英機首相に提案しています。開戦直前から、バチカンを通じての戦争終結の手段を考えろと言っていたわけです。

 敗戦後の占領期、天皇はキリスト教、とくにカトリックに接近しました。キリスト教徒に頻繁に会い、たとえば牧師の植村環(たまき)からは香淳皇后とともに聖書の進講を受けています。植村が訪米する前後にも会い、トルーマン米大統領への伝言を伝えている。

 実は皇后は戦前からキリスト教徒と親しかった。開戦後の42(昭和17)年から44(同19)年にかけて、皇后はキリスト教徒の野口幽香(ゆか)を宮中に招き入れて定期的に聖書の講義を受けています。天皇はこれを黙認していました。

 天皇は外国人とも会っています。聖心愛子会というカトリック団体の聖園(みその)テレジアというドイツ生まれの修道女。慈生会のフロジャックというフランス人神父。48(昭和23)年1月23日の実録によると、天皇はフロジャックが日本のカトリックの現状を報告するためローマ法王庁を訪れる前後に会っている。6月9日にはローマ法王庁から来日したスペルマン枢機卿らの一行とも会いました。

 側近に地方のキリスト教事情も調べさせている。46年9月7日の実録によると、元侍従次長の木下道雄が7月28日から8月17日まで、九州でカトリックの状況を視察して天皇に報告しています。


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