昭和40年11月、美智子さまは臨月に入られても歌会始の歌を仕上げておきたいので、と前のお産の時と同様、五島さんをお呼びになり作歌に精進しておられました。

 入院直前、こんなことがありました。美智子さまのご体調が少し悪く、白羽二重に赤を重ねたお寝間着で横になっていらっしゃいました。「何か少し震えてしまいます」とのお言葉に、五島さんは励ましの思いを込めて、

「昔の武士が戦場に向かうときは一度、必ず震えがくるそうで、それを武者震いと申します。一度も震えないのは根っからのバカなのだそうでございます。女のお産は武士が戦場に臨むのと同じでございますから、せいぜい武者震いあそばして立派なお産をなさいませ」

 そう申し上げると美智子さまは「根っからのバカ」というところで、ちょっとお笑いになり落ち着かれたご様子でした。その後、美智子さまはお歌を一首お示しになり、五島さんは「くれぐれも安心なさるように」と申しあげてお帰りになりました。

 浩宮さまご出産時の美智子さまの難産を知らされていた東大病院の産科チーム。第2子誕生を前に、帝王切開の準備も始めていました。昭和30年代の後半から昭和40年代にかけて、医学は日進月歩の時代。産科麻酔、産後の母子同室など昭和30年代にはめずらしかったことも医学の飛躍的な進歩で実現できるようになったのです。

 昭和40年11月29日、美智子さまは宮内庁病院に入院。夜になって、美智子さまは分娩室にお入りになりました。そこで美智子さまはひかえめながらもはっきりと、「できるだけ人を少なくしてください」とおっしゃいました。

次のページ