アベノミクスが始まって早1年半。元モルガン銀行東京支店長で「伝説のトレーダー」と呼ばれた藤巻健史氏は、「ハイパーインフレのリスクをもたらしている」と指摘する。

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 外資系銀行に勤務していたとき、金融機関の為替関係者を会員とする日本フォレックス・クラブ主催の会員用セミナーに、パネラーとして参加したことがある。開始直後、突然、司会の女性キャスターに「ユーロについてどう思われますか」と聞かれてあせった。事前打ち合わせでは「特に意見なし」ということで、この質問は来ないはずだったからだ。

 新聞に載っていた投稿川柳「知りません、覚えていません、わかりません」を思い出し、そう答えようかと考えた。いや、もっといい回答例があるぞ。その昔、学生の採用面接で、「自分の性格を分析せよ」と質問したら、モジモジした揚げ句、「すみません、ド忘れしました」と答えた学生がいた。どこの世界に自分の性格をド忘れするやつがいるのか? 丸暗記していた模範回答を忘れたのだろう。私は緊張した学生を前に一人でウケ、「いつの日かこの回答を使ってやろう」と心に誓った。そのチャンスが巡ってきたのだ。

 しかし、機転が利かずに結局、「自分が勝負をしていないときは考えないようにしています」と、いつものパターンで回答してしまった。カッコワルーイ。

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 今年8月に再度、日本フォレックス・クラブから単独講師として呼んでいただいた。半年に1度のセミナーなのだが、3度目の登壇である。プロを相手にする講義だから大変な名誉だ。日本経済にとって為替がいかに重要かお話しした。

 英国の経済紙フィナンシャル・タイムズのアベノミクスに関する論評が8月29日付の日本経済新聞に載っていた。

安倍晋三首相の『3本の矢』は明らかに的を外している。理由はそもそも矢が3本ないことで、あるのはたった1本、通貨の下落のみだ」とあった。アベノミクスと違って、この記事はまさに的を射ている。

 第3の矢の「成長戦略」は、1986年の「前川レポート」以降、歴代政権は何百本、何千本の矢を放ってきたが大当たりした矢は一本もない。なぜ今回だけ大当たりするといえるのか?

 成長戦略とは、民間が作り出すもので、政府などが関与しないほうがいい。インドでIT産業が大発展したのは政府が能力不足で関与できなかったからだ。

 第2の矢である「機動的財政出動」は、滅茶苦茶に財政出動した結果、1039兆円もの世界に冠たる借金を作ってしまった。それにもかかわらず国の実力とも言うべき名目GDP(国内総生産)は、この20年間、まったく伸びていない。

 今、何とか景気がよいのは、まさにフィナンシャル・タイムズの指摘のように「円安のおかげ」である。しかし、この円安はアベノミクスの成果ではない。

 第1の矢である「異次元の量的緩和」が始まったのは昨年の4月。このときの為替は1ドル=約97円だ。その後、無茶苦茶な量的緩和をしても、数円しか円安は進んでいない。昨年の好景気に貢献した1ドル=79円から97円への円安は、異次元の量的緩和が始まる半年ちかく前の衆議院選挙で、安倍晋三自民党総裁が「円高は大問題だ」と何度も繰り返したからである。単なる口先介入だ。異次元の量的緩和も的を外しているどころか、ハイパーインフレのリスクをもたらしている。

週刊朝日  2014年9月19日号

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藤巻健史

藤巻健史

藤巻健史(ふじまき・たけし)/1950年、東京都生まれ。モルガン銀行東京支店長などを務めた。主な著書に「吹けば飛ぶよな日本経済」(朝日新聞出版)、新著「日銀破綻」(幻冬舎)も発売中

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