偉大なピアニスト、マルタ・アルゲリッチの三女、ステファニー・アルゲリッチ(39)が撮ったドキュメンタリー映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」がまもなく公開される。監督の友人でもある作家・平野啓一郎(39)が、これまで秘められてきたアルゲリッチ家の私生活と撮影の裏話を直撃した。

平野:僕らが最初に会ったのは2004年の大分の「別府アルゲリッチ音楽祭」のときかな。その後に僕がパリに留学したときに、再会したんだっけ。

ステファニー(=以下、S):そのときあなたを被写体に「若い日本人小説家のパリ生活」みたいな短編映像を撮ったわ。実験的な。

平野:そうそう幻の短編フィルムね。お母さんとも何度かお会いして、一度パリのお宅で君も一緒にご飯を食べたこともある。僕はすごーく緊張してたけど。

S:今回の映画、どうだった?

平野:感動しました、本当に。やっぱりマルタ・アルゲリッチを全然知らない人が撮ったドキュメンタリーとは違って、娘が内側から撮っているからプライベートなシーンも撮れているし。君のお父さん(名ピアニストとして知られるスティーヴン・コヴァセヴィッチ氏)も出てくるし。お母さんが何度か結婚して別々の相手との子どもがいることは知っていたけど、お父さんのほうもそうだったとは知らなかったな。

S:母は3人の男性との間に3人の娘をもうけて、父にも2人の女性との間に生まれた3人の息子がいる。なんだかシンメトリックね。

平野:このプロジェクトにお母さんは最初から賛成だったの?

S:選択の余地がない、という状態ね。本格的に母を撮り始めたのは10年くらい前かな。最初は映画になるかもわからなかったし、母もそうなるとは想像していなかったと思う。そのうちに自然に映画にしようということになって、撮影スタッフが参加し始めたんだけど、母はスタッフと馬が合ったようで、彼らを快く受け入れてくれたの。そんな流れで撮り始めたから、母としては映画に同意せざるを得ない状況だったのね。

平野:マルタさんが常に「娘」に答える表情でカメラに話しているから、感情とともに訴えてくる言葉がたくさん収められているのがいい。

S:母はこの撮影をすることが娘にとって重要であること、娘の最も大きい関心が自分であることを理解してくれていた。だから特に問題はなかったの。

平野:映画にはけっこうエモーショナルな場面もある。例えば長女のリダさんが生まれたとき、お母さんの実母である君のおばあさんがリダさんを連れ出した“誘拐事件”について語るシーンとか。その件でお母さんはしばらく活動を休止していたわけだけど、いままでもこの件について直接、お母さんに話を聞いたりしたことはあった?

S:何度かあったわ。例えば日本での演奏旅行に同行したときにも「実際、何があったの?」って聞いたことがある。でも母はそのたびに「なんでそんな質問するの?」というような感じだった。だから改めてこうやって話を聞いたのは非常にまれなことね。

平野:僕も君の家族について非常に詳しくなった(笑)。なかなか訊けなかったし。

S:ただ母はすべてを言葉にしているわけではないし、やっぱりミステリアスな存在なの。今回もすべての質問に明確な答えをしようと彼女なりの努力をしているけど、言葉で表現しようとしないほうが真実をダイレクトに伝えられることもある。だから私はそれも、そのまま写したの。

(取材・構成 中村千晶)

週刊朝日  2014年9月12日号より抜粋