大量の土石流が完成な住宅街に流れ込み、家や車を破壊(撮影/写真部・松永卓也)
大量の土石流が完成な住宅街に流れ込み、家や車を破壊(撮影/写真部・松永卓也)
(撮影/写真部・東川哲也)
(撮影/写真部・東川哲也)

 広島市を8月20日未明に襲った“同時多発”土砂災害による死者は49人、行方不明者は41人(23日現在)に上る。土石流が家や車を押しつぶし、閑静な住宅街は一瞬にして爆撃されたような惨状となった。

 土石流の被害が最も大きかったのが、広島市安佐南区の緑井と八木にまたがる地域だ。 八木3丁目の山のふもとを少し下ったところでは、アパート1棟が基礎ごと「消失」していた。

 自衛隊員、警察官の救出作業を21日、茫然と見ていたのは、湯浅吉彦さん(61)だ。アパートに息子の湯浅康弘さん(29)と妻のみなみさん(28)が住んでいた。

 東京で整体師の仕事をしていた康弘さん。地元広島の支店に異動になり、7月末に引っ越したばかりだった。みなみさんは妊娠7カ月。11月に出産予定だった。

「山のほうでちょっと不便だが、新築だからとこのアパートに決めた。子供も生まれるから、山のほうで空気もいいだろうと話していた。出産が待ち遠しくてならんかったのに……」

 吉彦さんは絞り出すように話した。康弘さんは、広島県の山間部にある三次高校の出身で高校球児だった。

「体力だけは人一倍。子供が生まれたら、挙式、新婚旅行だと話していた。奇跡が起きることを祈りたい。アパートを埋め尽くす大きな石が憎いです」

 明暗を分けたのは、わずかな違いだけだった。同じ山のふもとの一軒家に住んでいた中島國雄さん(73)、タツ子さん(70)夫婦は避難所でこう語った。

「しつこく雷が繰り返し鳴った後、ちょっと地震みたいな縦揺れがあったんです。バリバリバリ、ドーンという音がして、テラスへ出たら、すぐに土石流が始まった。ドーンというのは石や木や車が、住宅にぶつかった音だったんだろうね。土石流はまっすぐに下に流れたのと、横滑りにうちの家めがけてやってきた」

 しかし、車や電柱が壁になって、土石流は中島家の手前3メートルで止まったという。

「家はどうもなってないから、最後までがんばっとったんよ。でも、消防署の人に2次災害があったらどうするんかと諭されて、いちばん最後に退避しました」

 妻のタツ子さんもこう振り返った。

「消防隊員の方におんぶされて救出されました。泥やガレキで大まわりしたので家から避難所まで2時間半かかりました」

 八木3丁目にあった実家が消失し、両親が23日現在、行方不明になっている広兼学さん(34)は避難所で捜し疲れた様子で語った。

「災害以来、連絡が途絶えています。両親とも携帯を持っており、電源は入っているんですけど、留守番電話のままです」

 現場には災害救助犬も駆けつけ、ガレキの中、倒壊した家に入っていた。

「東日本大震災も経験した救助犬なんです。しかし、今回のほうが条件が厳しい。泥と水で生存反応を見つけることができない」(自衛隊員)

週刊朝日 2014年9月5日号より抜粋