山本譲二さん、悦子さん夫妻の出会いは、かれこれ40年前。譲二さんはデビューしたものの、まったく売れず、ナイトクラブでギターの弾き語りを続ける日々。そこに同じ所属事務所のほかのアーティストのイメージガールに選ばれてやってきたのが、モデルの悦子さんだった。お互いに惹かれていくが、なかなか思いは告げられなかったという。

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夫「おつきあいしてください、なんてことも言えませんよ。それ以前に、どうしておれは売れないんだろう、なんでだろう、考えることはそれだけですよ」

妻「山本さんは若いときは売れなくても、年をとったら絶対に売れる人だって私は信じていたんです。だから今はがんばってほしい、とそれだけでした。それが、ある日、紙袋一つ持って、私のマンションに来たんですよね」

夫「僕は自信満々で行ったんですよ。ところが、『今、妹が来ているからだめ』って、部屋に入れてくれない。表参道の交差点に立って泣きましたよ。おれはどこで寝ればいいんだ、って。その夜はカプセルホテルで泣き明かした」

妻「次の日、荷物だけは入れてあげたでしょ。下着とTシャツの」

夫「そのころ僕の稼ぎは1カ月4万円。ところが、彼女はCMやドラマに出演していて、『いくらくらいもらうんか』と聞いたら、『今度の仕事は1クール15万円か20万円かな』とか軽く言う。クールという言葉もわからなかったけど、正直言って、しめた!って(笑)。で、なんとなく同棲するようになったんです」

妻「『ちょっとお金貸して』って、よく言いましたよね。『ちょっと』と言うから、すぐ返してくれると思って貸しました。でも、今まで一度も返ってこないんですけど(笑)」

 はっきり言えばヒモみたいな譲二さんだったが、31歳のとき、「みちのくひとり旅」が大ヒット。経済的には落ち着く。芸能界を引退した悦子さんは、多忙を極める彼の世話を焼く。でも、売れれば売れたで、譲二さんはそれを笠に着て結婚を迫るようでためらった。

 
夫「歌手になろうとしたときから、結婚してはいけないと僕は思っていたんです。家庭なんか持ったら、売れるもんだって売れないだろうって。だから、一緒に住んでいても、結婚しようという気持ちはなかったですよ」

妻「えーっ、ほんとですか」

夫「でも、あなたも結婚を一切口にしなかったでしょう。親に会ってくれとも言わない。卑怯な言い方だけど、それで助かりましたね。結婚を考えずに歌に専念できましたから」

 結婚の決意を固めたのは、さらに何年もたってから。ある日、芸能リポーターの梨元勝さんがやってきたのだ。

夫「玄関のチャイムが鳴るからのぞき窓から見たら、梨元さんなんです。『わかった、おれは出ていってすべてを話す』と言ったら、悦ちゃんが『だめ。早まらないで』って」

妻「事務所にきちんと話して、取材も事務所を通してもらう、と言ったんです」

夫「彼女の毅然とした態度で救われましたね。でなければ、隠し妻とか書かれていたでしょうね(笑)。僕ら、隠し妻とか隠し子とかでスキャンダルになる最後の世代ですよ」

妻「今はみんな自然に、結婚や妊娠の報告してますものね」

週刊朝日  2014年8月15日号より抜粋