第1位の後藤田正晴氏(故人) (c)朝日新聞社 @@写禁
第1位の後藤田正晴氏(故人) (c)朝日新聞社 @@写禁

 1日2回の記者会見をこなし、政権を支える官房長官。本誌は、「歴代官房長官の通信簿」をまとめた。対象は1980(昭和55)年、鈴木善幸内閣の宮沢喜一官房長官から、現在の菅氏までの31人。浅川博忠(政治評論家)、伊藤惇夫(政治アナリスト)、佐高信(評論家)、田﨑史郎(時事通信社解説委員)の4氏に100点満点で採点を依頼した。

 結果は1位の後藤田正晴長官だけが90点台と圧倒的な評価を集めた。2位の梶山静六長官と15点の差がついている。

 後藤田氏は1914(大正3)年、徳島県生まれ。東京帝大(現東大)から旧内務省に入省。40(昭和15)年、陸軍に召集され、終戦時は大尉。台湾で捕虜生活を送り、帰国後に復職するが、内務省の廃止後は警察庁に所属する。

 69(昭和44)年、警察庁長官に就任。よど号ハイジャック事件、浅間山荘事件などの指揮を執った。76(昭和51)年の衆院選で初当選。田中派に属し、「角栄の懐刀」とも呼ばれた。

 時事通信の田﨑史郎解説委員は「ナンバー2が本分と自認し、それを全うした稀有(けう)な政治家」と評する。

「当選が7回なのに入閣は8回。実務能力を高く評価されていた証拠です。田中派で嫉妬する議員も多く、向日葵(ひまわり)というあだ名もありました。『常に権力を向く』という意味ですが、元官僚ですから官僚掌握はお手の物。首相と同等の権力を持ちながら、常に一歩下がって“上司”を立てました」

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