新聞、雑誌、テレビなど多くのユーザーをスマートフォンに奪われてきている既存のマスメディア。特に新聞・雑誌メディアはスマートフォンを意識するべきだと、ライブドア元社長の堀江貴文氏は指摘する。

*  *  *

 先日、とあるウェブメディアを見ていたら興味深い記事を発見した。新聞の部数が急落している原因について書かれた記事だった。

 もちろん、このコラムで何度も指摘している通り、スマートフォンの普及が一番の原因であることは間違いない。電車に新聞を四つ折りして、チマチマ読んでいるサラリーマンはもうほとんど見かけない。老若男女みんなスマートフォンの画面を見つめている。だから新聞は低落傾向にある。

 正直、通信社が担うストレートニュースの配信は外注したほうが良いレベルになっていると思う。むしろ通信社も青息吐息かもしれない。まあ、その辺はウェブメディアがなんとかしていくしかない。

 実際、記者会見を開いてもウェブ系メディアの人たちはパソコンを開いて会見途中にウェブに記事をアップしていたりする。またニコニコ動画を始めとするネット中継も盛んで、それを見ながら書き起こしをしてウェブにアップする人たちもいて、それを専門的に行う会社すらある。これまでの通信社のあり方も変化しつつあるのかもしれない。

 さて、本題だが、そもそも新聞というのは家庭におけるアーリーアダプターであるお父さんが読んでいたものだ。そのお父さんたちはネットバブルの頃、ウェブでニュースを読むようになった。iモードにもいち早く飛びつき、ガラケーでニュースを読むようになったわけだ。

 
 私と同じかもっと上の世代がそれに当たるだろう。一方、奥さんや子どもたちは新聞をあまり読まない。彼らはガラケーのメールやカジュアルゲームはやっていたかもしれないけど、情報は受動的に受け取るのが当たり前になっている。すなわち、テレビを見ているわけだ。

 つまりお父さんが新聞を取らなくなったら誰も読む人がいなくなる。しかも収入は以前と違って右肩上がりとは言えない状況だ。不要な支出は減らすとなれば、新聞が真っ先に支出項目から削られる可能性が高い。スマホ時代になってそれが加速しているというわけだ。

 だから、テレビはまだ見られている。だが、これも近未来的には危ういのは間違いない。それもスマホのせいだ。それでもテレビは、「ながら視聴」がされているから、まだ延命はできるかもしれない。当のソーシャルゲームやソーシャルネットワークアプリのCMはテレビで放映されている。自分たちの顧客を自分たちのライバルにどんどん流しているわけだからタコ足食いみたいな図式なんだけれど。

 だから新聞社は危機感を持たなければならない。スマートフォン向けのニュース配信なり、アプリなりで先行する業者のアプリを徹底的に解析し、自分たちのビジネスモデルをブラッシュアップしていかなければならない。

 正直、成果を上げているとは言い難い状況だ。紙面を意識することなく、スマートフォンに特化した形でのニュース編集をすべきだと思う。雑誌メディアはもっと危機的なのだから、それ以上に意識すべきだろう。

週刊朝日  2014年8月1日号