東尾修 オールスター本当の楽しみは「移動日」 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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東尾修 オールスター本当の楽しみは「移動日」

連載「ときどきビーンボール」

週刊朝日#東尾修
オールスターに出場する広島の選手たち。広島から球団史上最多の8人が選出された (c)朝日新聞社 

オールスターに出場する広島の選手たち。広島から球団史上最多の8人が選出された (c)朝日新聞社 

 本当の楽しみは移動日にあった。当時は3試合制で移動日が1日あって、自由行動。チームメートとゴルフをしたり、食事に出かけたよな。京都で知人に頼んで、食事に舞妓さんをセッティングしてもらって楽しんだこともあったよ。まだ若かった渡辺久信、工藤公康を連れていってね。ゴルフをシーズン中にやったのもこの1日だけ。本当に貴重な時間だった。だって、球宴に出ない西武の選手は、休みなく一日中練習していたから。それも球宴に出るモチベーションになっていたことは間違いないよ。

 西武の監督になって1年目の95年には球宴の監督を務めた。その時のコーチが当時オリックス監督の仰木彬さん。当時は「仰木マジック」と言われて、4番をコロコロ代える打線の組み替えがあたっていたから、コーチ室で聞いてみたんだ。でも、納得する答えがない。試合中にメモして話題になっていた仰木ノートも少しのぞいたけど、理解はできなかった。策士だから、はぐらかされたかもしれないけどね。でも、監督たちはそんな腹の探り合いをしていたものだよ。

 今年はセ・リーグで中日の谷繁元信兼任監督が選手として選出された。監督が4人そろうことになる。昔はエース投手に対し、他球団の捕手がマスクをかぶるだけで情報収集とか言われたものだ。今はきな臭い話は表に出ないが、選手起用の妙とかも本来は面白い。監督の仕掛けも注目したい。

 私は今でも72年に最初に出場した時の川崎球場の独特のにおいや、ラーメンの味まで覚えている。球宴出場はそれだけ大きなことだった。夢舞台に出られる喜びを、選手は前面に出してプレーしてほしい。

週刊朝日  2014年7月25日号


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東尾修

東尾修(ひがしお・おさむ)/1950年生まれ。69年に西鉄ライオンズに入団し、西武時代までライオンズのエースとして活躍。通算251勝247敗23セーブ。与死球165は歴代最多。西武監督時代(95~2001年)に2度リーグ優勝。

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