高校生の時のこと。英語教師から芝居のチケットを渡された。「劇団雲『十二夜』」とあった。内容を予習してから観ようと文庫を買って読んでみたら、少しも面白くなかった。芝居を観るのが憂鬱になった。

「でも、実際に観たら、ものすごい衝撃を受けました。生身の人間が目の前で演じるのを観るのは初めてだったけど、“演劇というのは読むものじゃない、観るものだ”と痛感したんです」

 吉田鋼太郎さんは上智大学に進学し、シェイクスピアを中心に上演する劇団に所属する。

「高校が全寮制の男子校で、世間から隔離された生活を送ってきたことの反動で、劇団には、“ちょっと目立ちたい”ぐらいの気持ちで入ったんです。そうしたらそこがものすごいスパルタで(苦笑)。入学してすぐ、5月の試験の日に、公演の仕込みが重なったので、先輩に、『休ませてください』と頼んだら、『試験と仕込みとどっちが大切なんだ!』と。それ以来、授業よりも芝居を優先させるような生活が続いて……」

 しばらくして、「シェイクスピア・シアター」に入団。看板俳優となる。

「20代の頃から、もう演劇の素晴らしさに取り憑かれていたんだと思います。演劇って、総合芸術っていうだけあって、知的な作業だけでも、肉体的な作業だけでも成立しない。頭と身体を同時に使いながら、五感もフル稼働させる必要がある。すべての働きがうまくいったとき、完全に日常を超える瞬間があるんです」

 

 40歳になるまでの吉田さんには、まだ“メジャー”なものに対する反発があった。でも、蜷川幸雄さんから出演のオファーが舞い込み、そんな思い込みから解放されることに。

「上演するのはシェイクスピア作品には違いないけれど、蜷川さんは、やるからには、“お客を呼ばないと意味がない”と考えていた。そういう演出家と会ったのは初めてでした。でも、3回目にご一緒した舞台では、ほぼ無名だった僕を主役に抜擢してくださったり。蜷川さんと出会わなかったら、今の僕はないと思います」
 現在上演中の舞台「カッコーの巣の上で」で共演する小栗旬さんと出会ったのも、蜷川さんの舞台でだった。吉田さんは、小栗さんが初めて監督した映画「シュアリー・サムデイ」にも出演しているが、吉田さんが映像作品に出演するきっかけを作ったのは、実は小栗さんだという。

「『カッコー~』は映画が有名ですが、舞台として過去に何度も上演されていて、僕も37歳のときに主役のマクマーフィを演じたことがあります。舞台版は、映画の重苦しいイメージからはかけ離れた、笑えるエンターテインメント作品なんですよ」

 役者を続けてこられた理由を分析してもらうと、「僕は、ない才能を補うために、“いらん苦労も買って出るぞ”っていう気概は持ってた。そのエネルギーだけでここまできましたね」と言って豪快に笑った。

週刊朝日  2014年7月18日号