北原みのりの菊地直子裁判傍聴記 「じゃ、行こうか」で17年逃亡 (3/5) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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北原みのりの菊地直子裁判傍聴記 「じゃ、行こうか」で17年逃亡

連載「ニッポン スッポンポンNEO」

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菊池被告の特別手配ポスター (c)朝日新聞社 

菊池被告の特別手配ポスター (c)朝日新聞社 

菊池被告が最後に潜伏していた建物 (c)朝日新聞社 

菊池被告が最後に潜伏していた建物 (c)朝日新聞社 

 私が出会ったMさんは、「オウムではみんなが口癖のように『頑張ろう』と言ってた」と言う。例えば裁判で証言台に立った井上嘉浩死刑囚の口癖は「頑張りましょう」だったと。井上は菊地が爆薬の原料を運ぶ時に、「頑張ります」と言ったことを根拠に「(菊地は)目的を知っていた」と証言したのだが、そのことを新聞で読んだMさんは、思わず笑ってしまったと言った。

「あの頃の私たちには、『頑張ります』しか言う言葉がなかったんですよ」

 自分の意見を持つことはもちろん、感情を持つことも悪であり、たとえ景色を見ても「美しい」と感じてはいけない修行生活だった。富士山の麓に築かれた巨大サティアンで暮らしながら、Mさんは「富士山をきちんと見たことがなかった」と語った。窓一つない生活空間には、コスモクリーナーと呼ばれる巨大な鉄の箱が置かれており、それが「空気清浄機」だと言われていた。殺生が禁じられているので、ネズミやごきぶりが走り回っていた。食事は1日1回タッパーに入れられた味のないパンやラーメンが配られるだけ。たとえ腐っていたとしても、そこに囚われるのも、修行が足りないためである。そんな生活を送りながら、誰もが思考停止し、前向きに「頑張っていた」のだ。

 菊地が何を知っていて、何を知らなかったのかは私には分からない。が、いつからか自分の頭で考えることを完全に止めてしまったのは確かなのだろう。

 例えば、「何故逃亡したのか?」という、菊地という人柄を知るのに最も重要と思われる弁護人の問いに、彼女はこう答えていた。

「林(泰男)さんに『じゃ、行こうか』と言われたので、ついていきました」と。


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