北原みのりの菊地直子裁判傍聴記 「じゃ、行こうか」で17年逃亡 (2/5) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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北原みのりの菊地直子裁判傍聴記 「じゃ、行こうか」で17年逃亡

連載「ニッポン スッポンポンNEO」

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菊池被告の特別手配ポスター (c)朝日新聞社 

菊池被告の特別手配ポスター (c)朝日新聞社 

菊池被告が最後に潜伏していた建物 (c)朝日新聞社 

菊池被告が最後に潜伏していた建物 (c)朝日新聞社 

 私たちは、この社会にとって、一連の事件がどのような意味を持っていたのかきちんと清算したといえるだろうか。「知っている」と思っていた顔ですら全く別人だった菊地直子に「再会」するような思いで、5月8日にはじまった裁判をできる限り傍聴した。

 菊地が問われているのは、「殺人未遂幇助(ほうじょ)」「爆発物取締罰則違反幇助」である。地下鉄サリン事件後、教団は捜査を攪乱(かくらん)する目的で青島幸男都知事(当時)宛てに爆発物を送付し、郵便物をあけた男性職員が大けがをした。菊地は爆薬の原料の運搬に関わった。裁判の争点は、彼女が運搬した薬品の使用目的を知っていたか。菊地は「自分に化学知識はなく、幹部たちの命令に従っただけ」と無罪を主張している。

 裁判自体は爆薬の名前や化学記号の確認などに費やされ、雑な言い方ではあるが地味だった。日に日に傍聴希望者が減っていき、退廷する傍聴人から「つまんないね」という声が聞こえることもあった。

 確かに「刺激的」な裁判ではなかった。菊地はほとんど表情を変えず、ひっそりと、という感じで被告人席に座っていた。元信者たちが彼女に不利にあたることを証言しても動揺する様子はなく、時折ノートにペンを走らせるだけ。指を失った被害者が証言台に立った時も表情は変わらず、見ようによっては「反省していない」ように受け取られかねないものだった。

 唯一、思いのようなものを感じたのは、被告人質問で、「世界記録達成部」(様々な分野で世界一を達成するためにつくられた部)について話した時だ。

 菊地は、毎日40キロを、時には10キロの重りをつけて走ったという。「あなたの記録は、世界記録から50分近く離れていたが?」との弁護士からの問いに、「無理だと諦めたら達成できない。0.1%の可能性しかなくても、努力することで、1%、2%と可能性が増えていく」とキッパリと答えていたのが印象的だった。それはまるで、学生時代の思い出を語るかのように、楽しそうですらあった。 


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